yuzaのブログ

出かけた場所について書いています。

犂について

 私は農業を知らない。しかし不思議なことに犂のことは知っている。

 犂と聞いて知っている人は少ないらしい。我が国では平安時代に大陸からもたらされ、その後千年以上かけて改良を重ね、明治から昭和初期まで全国の農家で使われてきた農具だ。たとえば佐渡島では、昭和33年までは使われていたが、それ以降は姿を見なくなった。耕耘機に取って代わられたのだ。

 牛や馬が不思議な農具を取り付けられ、後ろから御者が声をかけながら手綱を引く光景を、60歳前後の方なら見たことがあるかもしれない。それはちょうど過渡期の記憶であろう。この後農法は機械化が進んだ。田畑での役目を終えた牛馬は、荷役として農道を歩むようになった。

 過渡期の後の様々な変化を悪しきものとして捉える人は多いだろう。昭和40年代は公害が顕在化し、右肩上がりであった経済成長も止まり、やがて来たる不況の伏線ともなった。その原因を、農業に留まらない機械化をはじめとする社会構造の変化、それに端を発する人心の荒廃に求めれば、容易に支持を得られるかもしれない。私自身、機械による大量生産より手間暇をかけたものを愛したい。

 しかし、である。機械化はその分野に携わる人々による努力の証である。犂が導入されたことで農民たちは作業の能率化と省力化に成功したという。それは耕耘機が普及した昭和30年代に加速する。ひずみが出たのは残念なことだ。然れども犂の力が農民の負担を軽くしたのも事実であろう。仮にこれが、明治6年の学制施行の頃に実現していたら、就学率の上昇も速くなったであろうし、森有礼も暗殺されずに済んだかもしれない。

 私は農業を知らない。しかし犂を広め現代の農法の礎を作った馬耕教師たちを知ることができたのは望外の喜びである。

 彼らが残した足跡と礎が元になっているであろう米や野菜を、今日も私は食べる。納豆ご飯とロールキャベツが美味しい夕食であった。

GW明けの旅行

今週のお題「今年見に行ってよかったもの」

 佐渡島の民俗資料館。平日で人もおらず、職員が見学中の筆者を訪ねてくるほど閑散としていたが、個人的には行けて満足であった。

 前々日に佐渡島入りしたが、忙しい夜勤が明けた日の昼に出発した。疲れていたはずだが翌朝は五時半に目覚めた。楽しみにしていた土地であったし、一日半しか滞在できないのが残念なほどであった。

 宿は佐渡島のど真ん中に位置していた。おかげで色々な場所を訪ねることができた。ただ食事が予想を超えていた。まさかコロッケの中に納豆が入っているとは思わなかった。

 新潟港と両津港の行き来はジェットフォイルを使った。本当はフェリーで二時間かけて佐渡海峡を渡ってみたかったのだが、翌日の仕事を思うと無理はできなかった。いつか調べ物ではなく純粋な旅行として行ってみたい。その時は悠々と船旅を楽しみ、島内はレンタカーで回ろう。

 知人のはとこの紹介という遠い縁にもかかわらず、貴重な話をしてくれたIさんには感謝しきれない。いつまでも元気でいてほしい。

 佐渡島は好きだ。今度来る時は神奈中のバスを探そう。タクシーの運転手の情報は正しいはずだ。