yuzaのブログ

幕末から明治を舞台にした小説を中心に載せています。

夏の芽吹き

 一

 

 朝方頼りなげだった日差しは徐々に夏めいたものへ変わっていき、昼餉を終える頃には庭に黒々と葉陰を映すほどになった。天気の良い日が続いているから珍しくもない光景のはずだが、庭木と日差しが庭で織り成す陰影を眺めたのは久しぶりで、やけに新鮮だった。

 内着のまま風に吹かれていると激動だったこの数年間が自然と脳裏に思い出される。福岡藩の御一新はいつから始まったのか、異論はあるだろうが、全ては横浜に東イン

ド艦隊が上陸したところから始まったのだと林(はやし)遠里(えんり)は思っていた。庭の景色は当時

から変わらないが、数年前までは一歩外へ出れば誰もが変化に戸惑い、衝突におのの

いていた。主家に武を以て仕える立場であったが故に次の時代へ行けなかった者のことを思えば、寧日に過去を思い返せるだけでも僥倖かもしれなかった。

「お珍しい。こんな時間に座って過ごしているなんて」

 柔和な響きを聞いて肩越しに振り向くのと同時に、傍に小鉢と湯飲みが置かれた。

妻の登(と)世(せ)は膝をついていたが、すぐに立ち上がった。

「どうした。すぐに立ち去ることはあるまい」

「そうですか。お一人で過ごしたいように見えたもので」

 登世は控え目に言って、夫と同じ景色を眺めた。林家の庭にはひときわ高い楡の木があって、季節ごとに相応の色味を見せてくれる。盛夏へ移り変わる今は青々と茂り、四ヶ月も経てば紅葉し、葉を落とす。

「お珍しいこともあるものですね」

 繰り返された言葉には登世の感慨が聞き取れた。

「家の主がここにいるのがそれほど不思議か」

「最近は特に、多忙なようでしたから」

「偶さか間が空いた。また明日には元に戻るだろうが」

「せめて三日は休めれば良いのに」

「そうはいくまい。皆が、日本という国が大変な時だ」

 御一新の前後で急に聞くことが増えた言葉を敢えて口にしてみたが、上滑りしたようで気分が悪い。藩を超え、諸国を包む体制のことを日本として、諸外国に名乗るようになるそうだが、北九州の一端では筑前を見渡すことさえ難しい。御一新で大きな功績があったという薩摩のことも、同じ九州にもかかわらずよくわからないのだ。福岡藩の味方には変わりないだろうが、底知れぬ不気味さも同時に感じていた。

 遠里は湯飲みの水を口に含んだ。近くの井戸で汲んできたばかりの水らしく、口の中が一瞬で冴えた。

 小鉢に入っていたのは黄色い食べ物で、一瞬考えてから、それが南瓜をすりつぶしたものであるのがわかった。

「初物だそうです」

 意図を訊くように見遣ると、登世は心得たように答えた。それだけで夫婦は通じ合い、遠里は短い返事をするだけで済んだ。

 皮を取り去ってからすりつぶした南瓜は、まるで歯のない老人や乳児の食事のようだが、小さじですくって口にすると冷たく甘い口当たりが心地よく、菓子のように手軽に食べられるのも良い。ありふれた野菜の新たな一面を目にする思いだった。

「お忙しいのでしょうか」

 結局登世は傍に腰を下ろし、日なたへ向けて密やかに語りかけた。これほど穏やかであるのに、と続きそうなほど、その問いかけは純朴に響く。時代という途方もない大きさのものへ傾いていた意識が、庭と傍らの登世にだけ向いた。

「江戸が名を変えてしまうほどのことが起きておる。忙しくならないはずがない。これでもまだ武家の者でな」

 まあ、と登世は心底から驚いたような声を出した。登世の実家は代々続く物頭で、藩がどうなるかわからない状況下でも立派に主家や奉公人を守っている。登世の育ちの良さは時に奇妙な行き違いを生んで苛立つこともあるが、穏やかな今は心地よく体の力を抜いてくれた。

「暇が重なるよりは良い。忙しく過ごす時があって、その合間にこうして穏やかに過ごす日がある。良いことだ」

 登世は笑みを浮かべて頷いた。珍しくもないはずの陰影に新鮮さを感じたり、登世の笑顔に安らいだりできるのは、日々の苦労を重ねているせいだろう。この瞬間に感じている安らぎがわからないほどの平板な日々は、決して幸せではない。

 しかし現在にこの上ない不安を感じているのも確かだった。長く京都にいた帝は江戸から名を変えた東京へ移った。その居所は徳川宗家の拠点だった江戸城だという。二百年以上続いた体制と共に自分の先祖たちは生きてきたし、賊軍として追われた果てに敗れるまで自分も体制の中にいた。その体制はもう無い。拠り所がないまま歩いていく日々がどう転ぶか、おそらく誰も見通せないだろう。

「安息が続くのは良いことですけれど」

 含みを持たせた登世の声に、遠里は視線をずらす。目の端で登世は上目遣いをしていた。

「どうですか」

 登世はささやきかけるように言った。何に向けられた言葉かわからずに訊き返すと、彼女の視線は傍らの小鉢に落ちた。

「先ほどから悩ましいことばかり話しておりますけれど、肝心のお味を聞いていません。そうでなければ作った意味がないというものです」

 平素従順な登世が、不満の潜む声を出した。時間にも生活にも余裕のない中での心尽くしである。無感動であってはむなしくなるだろう。

 遠里は改めて小さじを口に運んだ。ふかした後にすりつぶした南瓜は何も絡めておらず、本来の甘みしか感じない。しかし味の濃さは程よく、冷たさも気温に合っている。何もない時に食べるにはちょうど良い小気味よさだった。

「美味いぞ」

 登世は微笑むだけだった。割に開明的な父親のおかげでそれなりに学があり、言葉も多く知っている方だが、敢えて言葉を重ねずに済ますのが登世らしい。それに合わせていると周囲の音がよく聞こえて、独特の空気が生まれる。共に暮らすようになってから何度も感じた安らぎは健在であった。

「美味い」

「心得ております」

 二口目を味わってから言うと、おかしそうな笑みが添えられた。登世にとってはもはやわかりきったことになっているらしい。

 遠里は残りの南瓜をすくい取っていく。最後のひとすくいを舌の上で転がしていると、固いものが歯に当たった。口からつまみ出すと、それは南瓜の種であった。

「どうして入ったのかしら」

 さてな、と言うのが精一杯だった。しかしすぐに、答えが出そうにない不思議さに中てられたように笑みがこみ上げてきた。登世にその気持ちを言ってやったが、今ひとつ共感し得ないようだった。

「捨ててきましょう」

 登世が手を差し出したのを制し、遠里は振りかぶった。

「立ち上がるには及ばん」

 そう言って楡の木の根元をめがけて種を投げた。種は音もなく地面に落ち、影の中に沈む。

「はしたないこと」

「良いではないか」

 二人は何気ないことを笑い合った。夏めいた日差しに焼かれる庭を、時々風が吹き抜けて葉陰を揺らしていく。それを二人で眺めているだけでも飽きずにいられる。夫婦の平穏無事とはこういうものだと、遠里はふとのろけたくなった。

 

 その後登世とはすれ違いが続いて、穏やかに肩を並べた日が思いの外印象深い記憶となった。朝は家中の誰よりも早く目覚め、夜は夫が帰ってくるまで待っている。十数年続く習慣めいた生活を崩さず、妻としての役割を粛々とこなしているように見えた。

「まったく今更だが、良い妻を娶ったと思ってな」

 遠里は役目が早く終わった日の夜、帰りがけに出会った友人の佐原宗右衛門にのろけを打った。登世と同じくすれ違いの続いていた友人とは、毎日顔を会わせる妻よりも疎遠になりつつある。この機会を逃すと、二度と会えないかもしれないと思うと、宗右衛門を誘わずにはおれなかった。

「良いことだな」

 手近にあった小料理屋に入り、宗右衛門はひとしきり遠里の話を聞いて、一言呟くように言った。誰の話を聞いても淡泊な返事をする男は、ともすれば何事にも無関心で冷淡にも見えるが、大事にしてやれ、と言った声にはどちらへともない気遣いが聞き取れた。

「何が起きるかわからないご時世だからな」

 刺身を口にした宗右衛門がこぼした声に、遠里は同じ不安を感じ取った。拠り所をなくしたまま時代を歩かなければならなくなった不安を抱えているのは自分だけではない。

「役目はどうだ。お主は分隊司令官だから、あまりやることは変わらないだろうが」

 宗右衛門は言い、杯を傾けた。藩校でも共に学んだことがある間柄で、若い頃は武芸を競うこともあったが、家柄は学者で、役目の内容は異なっている。

「いつまた戦うことになるかわからん。そう思って誰もが緊張している。それを抑えるのが当面の仕事だな」

 周囲では一度終わった戦が再燃することを恐れる向きの方が強いが、戦における働きに対する充分な恩賞がないことへの不満もくすぶっている。命を落とすことなく妻の元へ帰ることができただけでも存外の喜びと遠里は考えることができたが、それでは満足できない者の方が多いようだし、それは武士として当然だろう。武士は古来、戦いに勝って得た恩賞で生きていくものだからだ。

「この上にまた何かが起きると思うか」

 遠里は宗右衛門を見遣ってから、手酌した酒をあおった。

「しばらくはあのような戦は起きぬよ。上野で彰義隊なる者たちが蜂起したそうだが、一日で押さえ込まれたらしい。戦力の差もあったが、作戦の差も大きく関わる勝利だった。官軍は山に向かって砲撃を加えてから兵を差し向けたそうだ。それほど徹底した作戦を採る相手に弓を引こうという者など、そう簡単には現れまい」

 遠く上野で蜂起しながら、大村益次郎率いる官軍にたった一日で押さえ込まれてしまった彰義隊のことは笑いぐさとして伝わっている。用兵についての知識がある遠里からすれば、洗練された作戦を採って勝利を収めた大村の手腕を学べる機会であったが、その陰で彰義隊がどう戦ったのか、そもそも何を望んで蜂起したのかもほとんど伝わってこないのでは、美談として扱うのは無理がある。

「本当に何も起きなかったら、お主は飯の食い上げだな」

 冗談とも本気ともつかない声で宗右衛門は言ったが、そうかもしれん、と遠里は穏やかに受け止めた。

「しかし先祖たちにもそういう時期はあった。本当に何も起きず、生き方を変えざるを得ない時が来たとしたら、林家の歴史に学ぶまでだ」

 遠里が生まれた天保年間は、大坂で大塩平八郎の乱があり、水戸の徳川斉昭が内憂外患を説いた時期である。長じてからは砲術を学び、学び覚えた技術で現在も身を立てている遠里は、いざ砲術を捨てざるを得なくなった時の想像はつかない。林家の先人たちが太平の時代に何をして過ごしていたのか、少しずつでも学ぶ必要があるだろう。

「いずれそうなるとしても、今すぐではないだろうな」

 言いながら宗右衛門は、互いの腰にあるものを見遣った。体制が変わったとはいえ、武士の身分や身なりは何も変わっていない。必要があれば刀を抜き、相手を斬り捨てることも許される。

「俺たちは未だ武士だ」

 宗右衛門は神妙な顔で呟いた。同意を求めるような切実さを感じ、遠里は力を込めた返事をした。

 宗右衛門に限らず、全ての人が内心に揺らぎを感じているのだ。長い間絶対的なものとして信じてきた幕府が、異国の船に威圧されただけで慌てふためいたことに始まり、帝が京都を離れ、徳川宗家のかつての居所に居を移し、挙げ句江戸は名を変えた。想像を絶することが立て続けに起きて、何を信じていいのかわからなくなっているのだろう。

 遠里自身にも拠り所のないまま歩かなければならない不安はある。まだ役目はあるし、時間と共に新しい拠り所もできてくるだろう。しかしそれが、先祖代々よすがとしてきたものと同じとは限らない。

 この先の時代がどう進んでも揺るがないものが欲しいと思った。その時浮かんだのは登世の密やかな笑みであり、何気ないことで笑い合った憩いの日であった。

 酔ってくるといっそう卑近な話が増えてくる。御一新を成し遂げた人々でさえ見通せないはずの将来より、家族の話の方が実感を伴う分言葉を探しやすい。気兼ねせずに喋ることもできた。

 お互いに酒の飲み方も心得ていて、相手の話が少し遠くなったと感じた時、宗右衛門の方から帰ろうと言った。店を出た時少し闇が深くなって見えたが、遠里が提灯をつけると不自由はなくなった。

「便利なものだな」

 提灯を指して、宗右衛門は感慨深げに言った。

「何を今更。昔からどこででも使われているだろう」

「そうだ。しかし、一昔前までは菜種の生産があまり行われず、夜はもっと暗かったと言うぞ」

 今でこそ菜種油は夜の灯りとして非常に有用だが、注目されるようになったのは元禄の頃だという。それまで夜の灯りは荏胡麻や胡麻が頼りで、高価だったために庶民が使うものではなかった。菜種は荏胡麻に比べて燃えかすがつきにくい上に従来のものより油の含有量が多く、裏作で栽培することができた。多くの利点を持つために九州をはじめとする各地で栽培が始まり、今では北陸や関東にも産地が広がっている。

「この灯りがなければ、夜までかかって本を読むこともできなかっただろう」

 学問で仕えてきた立場からか、宗右衛門は光に深く感じ入っているようだった。努力や功績を吹聴する男ではないが、他人に頼らず何かを地道に積み上げてきた者の強さが佇まいにはにじんでいた。

駿府が案外これの産地になるかもしれんな」

 宗右衛門の呟きは聞き流せなかった。

「何故そう思う」

 脈絡もない言葉で、酔客の戯れ言にも思えるが、武芸より学問をよくしてきた男の言葉は簡単に扱えない。

「戦に敗れた元幕臣たちが駿府で帰農し、茶の生産に励んでいると聞く。俺は彼らの変わり身の早さに感心している」

「皮肉か」

「違う。本心だ。汚名をすすぎ、雪辱を果たすのが武士であろう。それに倣えば彼らも刀を鍬に持ち替えている場合ではない」

「しかし元幕臣たちは刀を持ち直す気配がないな」

「諦めたのかもしれないが、俺には彼らが、自然に無理のない生き方をしようと英断したように見えるのだ。もし彼らの立場だったら、同じ決断ができるかわからん」

「考えすぎだ。どちらが良いかと悩んでも答えは出まい」

 元幕臣たちが帰農したのは、英断というより生きるための選択肢が他になかったためであろう。武士としては正しい決断とは言えないまでも、現実には養うべき家族がいて、路頭に迷わせるような危険な賭はできなかったのだろう。その心情は遠里にも充分に理解できる。

 自分たちは戦で大きな功績を残したわけではないが、所属していた藩がたまたま官軍となったことでそれまでの役目を保障されているに過ぎない。そう思うと、帰農した元幕臣と自分たちの間に差はなく、結局宿運の差で明暗が分かれたのだ。

「帰農した元幕臣たちは茶を育て、やがては菜種さえ育てるようになるやもしれん。そして我々は、未だに残る主家のためにそれぞれの腕で仕えるまでだ。他にするべきことがあるのか」

 宗右衛門は熟慮した素振りを一瞬見せて、ないな、と決然と答えた。

「お主の言うとおりだな」

 吹っ切れたような清々しい声であった。

 言葉を重ねる内に酔いは覚め、自分たちの周りに人気がなくなっていることに気づく。少し遅れて、遠里は不穏な気配に足を止めた。

「気づいているか」

 宗右衛門は淡い光の中で頷いた。その顔には緊張がみなぎっている。

 二人揃って足を止めて相手の出方をうかがう。程なくして物陰から五つの人影が飛び出してきた。

「夜盗か」

 遠里は問うでもなく言った。役目が残されているとはいえ、それはある程度の地位や家柄を持つ者だけだ。それらに恵まれなかった者たちは、混乱の中で食い扶持を失い、変化の荒波を泳ぎ切るためになりふり構っていられなくなった。それが一部で聞こえてくる、恩賞の不足への不満の正体であろう。

「命が望みか」

 宗右衛門が前へ出た。相手は暗がりの中でも手入れが不充分なのがわかる刀を不安定に構え、一歩踏み出した時構えが無様なほど揺れた。

「あ、有り金だ。どうせ持ってるんだろうが」

 正面の男が、裏返った声ながら意味の通じる言葉を言った。刀を見て怖れを成す者ばかりを相手にしてきたのだろう。刀を怖れないどころか、腰をかがめて反撃の構えを取る相手は初めてに違いない。

「さっき酒を飲んできた。もうない。他を当たれ」

 遠里は突っ立ったまま言った。宗右衛門は割に好戦的だが、遠里は路上での斬り合いなど望まない。動揺しない自分たちを見せつければ格上の相手だと思って勝手に怖れを成してくれるかもしれない。刀を抜かずに済ませられたらこの上ない成果だ。

「戯言をぬかすな。酒を飲む余裕があるなら持っているだろう」

 右端の男は激しく言い募る。どうあっても自分たちを無事に逃がすつもりはないようだ。

 宗右衛門に意見を求めるように見遣ったが、既に相対する気持ちを固めているらしい。さっきから腰を落としたまま動かない。

「どうする」

 本当に夜盗と斬り結ぶつもりかと遠里は不安になった。宗右衛門は文武に秀でた男である。そして戦うとなれば情け容赦はしない。

 宗右衛門は鋭い視線をわずかに横へずらした。

 さっき菜種油の光に文化の発展を重ねていた思慮深さはなく、獰猛で冷たい目をしていた。

「お主が出るまでもない」

 言うが早いか、宗右衛門は最も近い右端の一人に踏み込んでいった。その一歩は広く、飛んだかのように滑らかに間合いを詰める。次の瞬間には、夜盗はくずおれていた。

 思わず宗右衛門の名を呼ぶが、彼は答えずに次の獲物に向かっている。動きについていけなかった遠里は、倒れた男の安否を気にして注視した。その間に宗右衛門は二人を倒している。暗がりで色もよく見えないが、確かに体から血が流れていた。

 四人目が倒れた時、宗右衛門に一瞬の隙ができた。五人目は宗右衛門の刃をかいくぐり、刀を大上段に構えて遠里へ向かってくる。

「そこをどけ、斬るぞ」

 めいっぱいの声量で、精一杯の形相を作り、斬りかかってくる。遠里は急に夜盗が哀れに思えた。仮にも武士なら、襲った相手が悪かったことぐらい最初の遣り取りでわかるはずだ。相手の強さを見極める眼力を失ったばかりか、無力な女子供を蹴散らすことにしか使えないような脅し文句を吐く。まだ武士であるはずの男の何が間違って、こんなに情けない姿をさらすようになったのか。

「この、ぼんくら」

 遠里は刀を振り下ろしても刀身が届かない相手の懐へ飛び込んだ。その勢いのまま拳を突き出す。ほとんど腕を振らなかったが、お互いの勢いが助けとなって充分な威力になる。遠里の拳は男の顔面を捉えた。鼻の骨だろう、乾いた音が何かを突き破る感触と共に聞こえた。

 遠里の鉄拳で決着した。宗右衛門に倒された四人はもはや動かず、遠里が殴り飛ばした最後の一人は起き上がったが、腰を抜かして二人を見上げるだけだった。

「相手が悪いことも見極められんとは」

 宗右衛門の軽侮に、男は挑みかかるように睨んだ。足腰が立たないのに、瞳にはまだ活力がある。

「どうする。しかるべき所へ突き出すか。さもなくば」

 宗右衛門は地面に置いた提灯に照らされるように白刃を傾けた。死を目前にしているはずの男は、それでも宗右衛門から視線を外さなかった。

「待て。この男は俺が倒した。俺に任せてくれ」

 宗右衛門は少し不満げな顔をしたが、何も言わずに身を引いた。代わって遠里が男の前に立つ。

「何故我らを襲った」

「わかりきったことだろう。有り金だ。お前たちの身なりを見ればわかる。役目がまだあって、禄も充分に得られている。我らには考えられぬことだ」

「下郎か」

 宗右衛門の軽侮に激しい憎悪を燃やした目を向けたが、遠里は自分の刀を揺らして男の動きを封じた。

 遠里は黙って男を見下ろした。命を狙われたのだから、この場で斬り捨てても、咎められることはないだろう。自分たちを襲ったのが幸運で、なりふり構わず無力な女子供を襲う前に命を絶ってしまうのが世のためかもしれない。

「何をしておる。斬るなら斬れ」

 男は自棄気味に叫んでいた。遠里は哀れっぽさが急に膨らむのを感じた。

「行け、下郎」

「何のつもりだ」

 すかさず咎めたのは宗右衛門だった。

「行けと言った。二度と我らの前に現れるな」

 そう言い捨てて遠里は男に背を向けた。宗右衛門が名を呼ぶのを背中で聞いた。そのうち走り去る足音が聞こえる。ややあって宗右衛門が追いすがる。

「何のつもりだ」

 宗右衛門は珍しく感情的になっていた。

「生きてさえいれば、何かがきっかけになってまっとうな道へ進めるようになるやもしれん。死ねばそれも叶わなくなる」

「だからと言って、誰か別の者を襲ったらどうする」

「そうならぬことを願うだけだ」

 自分でもひどく無責任なことを言ったと思う。宗右衛門もまた、戯言をぬかすなと責め立てた。

「お主がそんなに見立ての甘い男とは思わなかったぞ」

 ともすれば掴みかかりそうな勢いの宗右衛門の感情を受け止め、遠里は無言を貫く。彼からの言葉が途切れた後、他人事には思えんのだ、と遠里はおもむろに口を開いた。

「いつ我々もあの夜盗のような立場に追い込まれるかわからん。拠り所がなくて不安になっているのは誰もが同じだ」

「その同情が仇にならなければ良いがな」

 宗右衛門はそう言い捨てて辻を曲がっていった。遠里の帰路も同じ方向だったが、彼と肩を並べる気になれず、少し立ち尽くしてから来た道を戻っていった。

 さっきの夜盗が襲ってくるかもしれないと警戒しながら夜道を歩いたが、無事にたどり着くことができた。門を開けてもらい、家中へ戻ると、登世が待ち構えていた。

「おかえりなさいませ」

 登世はいつもと変わらぬ様子で出迎えてくれた。鷹揚に返事をして茶を出すように言う。登世は言われたとおりに、数分後には茶を淹れてきた。

「どうなさいましたか」

 いつもの密やかな笑顔で、気遣うようなことを言ってくる。

「ご友人と諍いでもありましたか」

「まあ、そのようなものだな」

 遠里は夜盗を返り討ちにしたことと、その時の対応を巡って諍いがあったことを明かした。登世はお二人がご無事で良かったと言った。

「宗右衛門の方が正しいのは明白だし、意見に固執するつもりはないが、何度考えても夜盗をしかるべき所へ突き出すことはできなかったと思うのだ。情けないことだが、夜盗に同情していたのだ。彼にしてみれば欲しくもなかっただろうが」

 友人にも吐露できなかった思いを、登世は黙って聞いていた。仏像めいた表情で、遠里の行動を賞賛も咎めもしない。

「あなたがご無事で良かった」

 登世が重ねた混じりけの無い言葉に、遠里はうまい返事を思いつかず、

「何よりか」

 いくつかの思いを抱きながら言った。

 

 役目の違う宗右衛門とはその後再び疎遠となり、互いの仕事に邁進する日々となった。分隊司令官を務めていた遠里は、晩夏には砲術を身につける過程で学んだ火薬の知識を買われ、安徳村での火薬製造を取り仕切ることになった。有事の際実戦に出ることはなくなったが、良質の火薬を作れなければ兵たちを危険にさらすことになる。これまでよりも責任は重大となった。

 宗右衛門と再会したのは、安徳村に赴任して間もなくであった。洋式装備の実際を研究するために関係各所を回っている途中だと、聞き慣れた淡泊な口調で説明した彼は、特にわだかまりを感じている風ではなかった。

 あの夜逃がした夜盗が事を起こしたという話も聞かない。あの夜のことは終わったのだと遠里は思うことにした。

 宗右衛門は九つ(十二時頃)過ぎに帰り支度を始めた。またいつか会おうと言った遠里に対し、静かな返事をした宗右衛門は、あの夜の夜盗のことだが、と何気なさを装って言い添えた。

「少し前に道で斬られているのが見つかったそうだ。どうやら以前のように道ばたで誰かを襲って、返り討ちにされたらしい」

 宗右衛門は返答を聞かずに歩き出した。遠里はその背中に何も言えなかった。

 あの夜の選択が無駄であったことを思い知らせたかったわけではないだろう。足早に立ち去ったり、別れ際まで話をしなかったりしたのは、友人が狼狽するのを見たくなかったからだと思う。宗右衛門の気遣いを感じながら、遠里はそれでも意気消沈するのを抑えられなかった。

 生きてさえいれば、何か浮上のきっかけが掴めたかもしれない。あの夜盗も、どこかで過ちを償う機会を見つけられたかもしれない。

 その可能性に期待して逃がしたのに、全ては無駄になってしまった。せっかくの機会を無駄にされた憤りより、結局まっとうな道へ戻ることができなかった男への哀れみが胸ににじんだ。

 遠里は気分の悪さを抱えながらその日を何とか勤め上げた。立場が変わればあの夜盗のように、道を踏み外しかねない。そのためには少しの弱みも見せられない。遠里は周りに心配されながら帰路に就いた。

 次に休みをもらった時、遠里は何もする気になれず庭を眺めていた。今日は登世が忙しく家中の掃除に動いている。全て登世を含めた他人の仕事だから自分は何かする必要はないのだが、手持ち無沙汰に耐えられず、遠里は庭に降りた。

 定期的に手入れをしているとはいえ、雑草のたくましさは侮れない。少し日当たりの良い場所には小さな叢ができている。

「いくら手間をかけても、性懲りも無く」

 残暑もあってぼやきが口を衝いた。庭師は決して役目を怠ってはいないのだが、雑草の生命力がそれを上回っている。放っておけば見栄えを損なう自然の営みを偉大とは思わないが、人間の努力が決して勝てない、厳然たる差ではあるだろう。

 少し力を入れれば根こそぎ引き抜くことができ、文字通り根絶やしにできる。それでもいつの間にか風が種を運び、土に根付いて叢は元通りになる。その円環を人間が断ち切る術はない。

 ふと風が吹き、一瞬だけ火照った体を冷やした。風はそれだけにとどまらず、梢を揺らしてさわさわと音を立てた。

「人には及ばざることなり、か」

 扇子があれば風を起こして体を冷やすことはできる。しかしその風で以て梢を揺らすことはできないだろう。時として家の屋根を引きはがすほどの威力など、自然以外に有り得ない。

 遠里は手を止め、立ち尽くした。

 風がやむと暑さが沸き立ち、汗が吹き出してくる。遠くに蝉の声が聞こえるが、盛夏の頃ほど生き残っていない今は、途切れる間が長い。音が消えた時、遠里の意識は空に舞った。

 想像の中で地上を離れた遠里は、時間からも遠ざかったような気がした。すると地上での出来事に翻弄されていた自分や夜盗たちが、ひどく矮小に思えてくる。拠り所がないと不安がっていた時も、すぐ近くの恵まれた暮らしを妬んでいた時も、自然は有様をまったく変えていない。日本という国が外国との遣り取りに揺れていた時でさえ、気温は上下し、雨が降り、流れ、花を咲かせ、稲や野菜を育んできたのだ。

 再び風が吹き始めて音が聞こえ出す。意識は地上へ戻り、遠里は作業を再開した。

「及ばざることがあるからこそ、人なるかな」

 ふとそんな思いが生まれて口を衝いた。梢を揺らすことさえ容易ならざる人間だからこそ人間であり、そこに分限があるのだろう。

 草取りを再開し、叢を減らしていくと、有象無象の中に一本だけ明らかに違う感触の草に触れた。

 手を止めてよく見ると、それは草ではなかった。頂に黄色い花を咲かせ、庭の中で唯一の色を見せている。珍しい花だと思った遠里は、ふと庭から縁側を振り向いた。

 よもやと思って遠里は登世を呼んだ。登世は花を見て、南瓜の花ですね、と言った。

「以前見たことがあります。実の色のような花を咲かせるのですよ」

「あの時捨てた種が花を咲かせたのだろうか」

「そうだと思います。とても風が種を運んでくるとは思えません」

 種を捨てたのはあくまで面倒であったからだが、人の気まぐれに負けず自然に育まれて花が咲いた。実がつくかどうかはわからないが、人間の思惑など関係の無いところで命は生まれて育つ。遠里は何か大きな円環を前にした気分だった。

「人には及ばざることか」

 感慨深い呟きに、登世も応じた。単に諾々と従ったのではない、感覚を共にした確かな声であった。

「実をつけるだろうか」

 花びらの質感は頼りないが、同時に瑞々しさがあった。遠里が感じた自然の円環のから吸い上げたものが結実させたしなやかさであった。

 登世は立ち上がり、青空を見上げ、

「それは、お天道様のみ知るところでしょう」

 笑みを含んだ声で答えた。

「そうか、そうだな。人には及ばざることなり、だな」

 遠里もまた空を仰いで笑った。晩夏の空へ、二人の明るい声が吸い込まれていった。

 

 二

 

 雪と縁の薄い筑前の四季は穏やかに過ぎていき、自然を相手に苦闘するような冬ざれを経ずとも陽炎の燃える時期を迎えられる。勤め先がある安徳村には山裾で隠れるように広がる田畑が多く、時期が来れば馬鍬を曳く馬のいななきが聞こえてくる。日ごとに青みを増していく風景に、遠里は屋敷の庭先で展開したものより大きな円環を見る思いだった。

 遠里の仕事は変わらず、銃に使う火薬の製造と調合であり、勤める内に役職も上のものを与えられて仕事の幅も広がった。職にあぶれて食い詰める士族が多い中では恵まれているのは自覚していたが、先へ進むほど自然に囲まれて働く農民たちをうらやむ気持ちが強くなっていくのも事実であった。

 その思いを口に出すことは立場上許されず、遠里は粛々と勤めを続けることに努めた。自分の下には何人もの士族がいて、彼らの生活も間接的に担う立場である。その上登世と息子の誠を思うと、自身の憧れに従って生きるのは許されないことであった。

 筑前の中で暮らしている分には穏やかな時間が流れているように思えたが、世の中は確実に御一新という大きな動きの反動が表れているようだった。前年一一月からは奇兵隊をはじめとする戊辰戦争で活躍した諸隊の隊士が規模の縮小に反発して脱走を始め、一時は二千名にまで膨れあがった。最終的には士族を中心とする山口藩常備軍によって討伐され、両軍合わせて約二百名の死者を出して終わった。それまで戊辰戦争と御一新の熱に浮かされたようにふわふわと流れていった時間が突如として怒濤へと変貌したように、未だ地盤の固まっていない新政府を揺るがす力となりはじめるのだった。

 遠里は遠い土地の出来事を、村や街で小耳に挟んだが、筑前では実感を伴わなかった。それほど遠里の周辺は平和であり、ともすれば銃に使う火薬を製造する意義さえ見失いかねないほどであった。

 やりがいという点では物足りなく感じることもあったが、日々を広く見れば遠里は満足であった。

 自然風景の美しさを感じ取れることもあったが、

「おはようさん」

 分け隔て無く挨拶してくる地元の農民たちの屈託のなさが快かった。何かと格式張っていた明治以前では有り得ないことで、遠里もまた対等の立場で挨拶を返した。ほんの五年前まで農民たちは士分の下であり、遠里は傅かれる立場であった。その身分差がなくなったことに戸惑いは感じたものの、新政府の下で懸命に働くのは同じと思えば、身分差のない接し方にも違和感はなかった。

「今日も暑くなりましたなあ」

 ある夏の日、青田を眺めて昼餉を摂っていると話しかけてくる男がいた。清十郎という先祖代々安徳村で暮らしてきたという農夫は、平民に苗字の使用が許された前年、安田という名を名乗るようになった。

「ええ。しかしこの日差しだからこそ、この青みでしょう」

 強い日差しの下にあるからこそ、伸びゆく稲の青さは映える。これがあと二ヶ月もすれば色が変わる。その頃には収穫の時期であろう。

「庭先で育てている南瓜はどうですか」

 清十郎は自分の弁当を広げながら訊いた。

「おかげさまで、順調です」

 社交辞令ではなく本心からの感謝であった。何気なく捨てた種から芽吹いた花はやがて実を結び、食卓に上るほどになった。それは安徳村で親しくなった清十郎から教わった知識があってのことだ。

「妻と息子と共に美味しくいただきました」

「それは何より」

「残った種をまた植えて、今年も収穫できそうです。気まぐれに捨てた種がまさかこんなに長く命をつなぐとは思いも寄らないことでした。自然はまことに大きい。人には及ばざるものです」

 思うとおりに語ると、何故か清十郎は感心したようなため息を漏らす。

「さすがに学がおありになる。我々は食うに精一杯で、とてもそのようなことにまで思いを巡らす余裕はないものです」

 清十郎の表情は素朴で、皮肉を言ったようには聞こえなかった。宗右衛門とは違った人柄だが、彼も友人であった。

 互いに何気ない言葉を交わしていく内に妻子の話になっていく。清十郎には六人の子供がいて、そのうち二人は田畑で汗を流している。他に生まれて間もなく亡くなった子供も二人いるそうだが、その影を感じたことはない。屈託なく過ごすことで、暗さを紛らわせると信じているようであった。

「暮らし向きはどうですか」

 それは農民に比べたらはるかに安定した暮らしを営む自覚のある遠里からは訊けない話だった。

「何とか家族が苦しまないぐらいにはやれています」

 他の士族に比べたら恵まれている方ですという言葉は飲み込んだ。下手なことを言えばそれが自慢と受け取られかねない。南瓜についての貴重な知識を授けてくれた友人を失いたくなかった。

「我が家も何とかやれています」

 そう言った清十郎は、最後にただ、と言ったようだった。しかしそれに続く言葉はなく、遠里自身もうまく聞き取れなかったから、それ以上の追及はしなかった。

 昼餉を終え、二人はそれぞれの仕事へ戻っていく。日が沈む頃に遠里は仕事場を離れて帰路に就く。その途中で鍬を担いだ農民たちとすれ違った。

 すれ違ってから三歩進んだ時、遠里の耳に税が重いという声が届いた。

 遠里は足を止めて振り返った。彼らは既に影となっていて、声も聞こえなくなっている。暮らし向きに余裕がないのはお互い様だが、士族とは違う切実さが気になった。自分にはいくら困窮しても抗議する術がないのに対し、農民には一揆という最終手段がある。

 いつぞやの夜盗が思い出され、士族が立ちゆかなくなったらあのような手段に訴えるしかなくなるのかと暗澹たる思いに囚われる。人を脅かしたが故の末路だから同情できるものではないが、哀れに思う気持ちを捨てきれなかった。

 宗右衛門のような、善悪や物事に対して割り切った態度がうらやましいと思う一方で、そういう人間には夜盗に変貌するような士族や税に悩む農民を救えないと思う。清十郎のように屈託のない農民が離れてしまう人間にはなりたくなかった。

 幕府に変わって政治を執ることになった新政府は財政難で、それを重税で補おうとしている。その不満が一揆のような形で、特に関東や東北で暴発していると聞く。しかし筑前は元から農政や農業技術が発達した土地柄だから、争いが起きれば繊細な土地を踏み荒らすことになって、回復にも時間がかかることが頭にある限り、筑前の農民たちは一揆を起こさないだろう。遠里は人が絶え夜のとばりに包まれていく田畑を眺めながら、素朴で屈託のない農民たちが穏やかに暮らしていけることを願った。

 屋敷に着くといつものように登世が出迎えた。息子を寝かしつけたばかりだったようで、奥の寝所から小走りに出てきた。

 夕餉を済ませた後に登世に酒を注がせる。彼女は芸者の経験はないはずだが、酌の仕方が堂に入っているように見える。共に暮らすようになってから密かに思っている感想だが、正直に言ったら彼女の実家を怒らせることになりそうで、ずっと胸にしまっている思いであった。

「庭の南瓜はそろそろ収穫できるかな」

 遠里が訊くと、とても美味しそうに育ちました、と彼女は答えた。

 去年収穫できたのはほんの一つに過ぎず、農民がしていることに比べれば児戯に等しいかもしれない。それでも食べ物としては充分だったし、自然の円環に立ち入ったというだけでも遠里にとっては大きな意味があった。

「でもわたしには、農作物のことはわかりません。全てお任せします」

「そうだな。ならばそれをどう料理するかを任せよう」

 登世は手を口に添えておかしそうに笑った。遠里もつられて笑う。

「士族に農作物のことを全てわかるのは難しい。農民の方が詳しい」

「教えを受けているのですか」

「五年前なら考えられなかったことだ。しかしそうしないと、何年も続けて収穫することはできない」

 捨てたつもりの種から芽吹き、花が咲き、実を収穫できるまでになったのは感動したが、人の腹を満たすようなものが自然のままで収穫できるとは思えない。あくまで自然には自然の意思があって、それは人間の思いとは別のものだ。

 登世の反応は心配だった。従順だが、武家で生まれ育った女である。農民に教えを受ける夫を落ちぶれたように見ても仕方がない。

「実家の家族は誰もやらなかったことだろうが、もう士分と呼ばれる人のいない世の中だ。農民を相手にしたと言って、居丈高に振る舞っても周りの人の心が離れるだけで、良いことは何もない」

 四民平等とされ、身分や功績の証であった苗字さえ誰もが持つ世の中になった。士分だった人々の特権といえば秩禄ぐらいだが、財政難の新政府である。いつ打ち切られるかわからない。

「わたしはあなた様についていくだけです」

 酒を注いだ登世は、

「世の中が変わったと言うなら女も変わります。家を立てるのではなく、夫と共に生きていくのがきっと当代の女でしょう。わたしはあなた様を見届けるまでは生きていきます」

 とっくりを持ち上げ、笑いかけた。

 夫の機嫌を取るようなうわべだけの表情には思えなかった。一人残された後のことが心配になったが、遠里は登世の表情を信じ、一息つくように礼を言った。

「あと十数年経って隠居することになったら、南瓜を育てながら生きようか」

「よほど南瓜が気に入ったようですね」

 登世はおかしそうに笑った。種を捨てる瞬間まで農業の話もしなかった夫が、農民に教えを請うほどになったのだ。登世でなくてもその変化に何かを感じるだろう。

 それが怒りや失望でないのは、登世の人柄によると思う。彼女の寛大さに遠里は改めて感謝する思いだった。

「捨てられたものが人知れず役目を与えられ、ついには実を結ぶほどになったのだ。人には及ばざることなり、されど疎かにはできぬことだ」

「あの時わたしが種を捨てていたら、あの南瓜が庭先に根付くことはなかったのですね」

 その何気ない選択が、今の自分たちを作ったのだ。そればかりか隠居した後の目標まで見えてくる。自然の大いなる円環に取り込まれ、老いながら生きていく。遠里の脳裏に、ふとそんな壮大なものが浮かんだ。

 天が見ているなら、あの南瓜の種のように役目を奪われた者をすくい上げてくれたら良い。遠里は願いを込め、暗い夜空へ視線を投げた。

 

 一年近く会わずにいた宗右衛門が訪ねてきたのは明治四年の八月のことであった。彼を最初に出迎えたのは登世であったが、遠里を呼ぶ彼女は何故か戸惑い、本当に宗右衛門なのかわからないと言い出した。

「何を馬鹿なことを」

 登世と宗右衛門は顔見知りで、顔を合わせた回数は決して少なくない。

 登世の反応を気にしながら遠里が玄関先へ出ると、彼女の戸惑いが理解できた。

「その頭は何だ」

 思わずそう口走っていた。久しぶりの再会となった宗右衛門の頭からは髷が消え、髪の毛がだらしなく下がっていた。

「散髪脱刀勝手令が出ただろう。それに倣ってのことだ」

「しかし、それにしても」

 法令のことは知っているが、従うかどうかの判断は個人に任されている。その結果脱刀と断髪に賛同する者は少数にとどまり、巷ではざんぎり頭と呼ばれた髷のない髪型を揶揄する歌まで現れる始末であった。

「お主は刀は捨てても髷は落とさないのか」

 まだ士族として仕える遠里だが、法令を知ると同時に刀は置いた。そうすることで清十郎をはじめとする農民たちと対等の立場で話せると思ってのことだ。

 しかし髷だけは譲れなかった。開化の精神には賛同するが、髷を落とした頭で過ごすのは恥ずかしく心許ない。新政府内でも木戸孝允が範を示すために髷を切ったが、岩倉具視が反対派の急先鋒となって対立しているようだった。

「髷までなくしては、自分が何者かわからなくなりそうだ」

 辛うじて抗言したものの、世相に合わせて自らを柔軟に変えていける宗右衛門がまぶしく思えた。髷の起源は遠く鎌倉時代にあり、兜を被る当時の武士が頭の蒸れを抑えるために結ったのがはじまりとされている。髷を捨てるのは武士の伝統を切り捨てることに他ならないのだが、それを受け継ぐべき身分はもはや存在しないし、囚われるべきではない。宗右衛門の頭はそういう主張を明確に表して見えた。

「まあ良い、お主ならいずれわかることだ」

 立場や考え方が似通っていることを見抜いているのか、受け入れがたい態度を示した遠里を前にしても宗右衛門は余裕があった。遠里自身、気持ちの整理がつけば髷を落としてもいいと既に考え始めている。あとはきっかけの問題であった。

「それよりざんぎり頭にするよう説得しに来たのでないなら、何の用だ」

 遠里が問うと、挨拶だ、と宗右衛門は答えた。

「鎮西鎮台で働くことになった」

 武より学を以て仕えてきたはずの宗右衛門の門出としては意外な行き先であった。

 詳しく聞きたいが、玄関先より外で話そうということになり、遠里は宗右衛門と連れ立って歩き出した。

「この辺りの景色もおそらく見納めになるな」

 蝉の鳴く道を歩き出して間もなく、宗右衛門は良く晴れた景色を見回して言った。朝から気温が上がり、道の上には陽炎が燃えている。青空の色も微かににじんでいるように見えた。

「そんなことはないだろう。鎮西とはいえ、同じ九州だ。来ようと思って来られない距離ではない」

 宗右衛門は微笑み、そうだな、と返事をした。

 含みを感じる表情ながら、そこに踏み込めないものを感じて、遠里は追及を避けた。他の士族に比べて恵まれているとはいえ、火薬の製造は所詮後方支援に過ぎない。宗右衛門がこれから臨むのは、有事には戦闘に立って働く仕事であり、ある意味で花形と言える立場である。立場の違いはそのまま二人の今後を分けるものになりそうだった。

「俺は変わらず同じ場所で働き続けるだろう」

「我々は恵まれているよ。鎮西鎮台が抱える兵士は旧藩士だが、全ての旧藩士を抱えられたわけではない。どうすれば良いか迷う者がたくさんいるそうだ」

 徳川幕府の名残である藩を廃し、新たに県を置く廃藩置県が行われたのは先月のことだ。各藩主が代々守ってきた土地が変わってしまうことへの反発が懸念されたが、思ったほどの抵抗は起きず、穏健に新制度へ移行することができた。福岡藩も福岡県

となり、現在は三府三百二県が置かれている。

 それは全国を東京の新政府が治めるのに都合の良い体制である。しかし代償を被るのは、それまで藩に仕えてきた藩士たちであるようだった。

「変わってゆくのだな」

 嘉永六年にマシュー・カルブレイス・ペリーに率いられた東インド艦隊が浦賀に現れてから今年で一八年になる。今年四〇歳になった遠里にすれば、生涯の半分にも満たない歳月である。しかし日本という国にとってはとこしえに語り継がれるであろう出来事の詰まった時間となった。そしてその変化はまだまだ続くだろう。

「その変化はまだ不充分だ。もっと変わっていかなければ」

 そうまで変化を追い求めて何を狙うのか。その疑問は訊くだけ野暮だと思った。徳川宗家から政権を奪った新政府が狙うのは、アメリカをはじめとする欧米列強と結ぶ羽目になった不平等条約の解消だろう。貿易における関税自主権が持てず、外国領事に裁判権を与えるという不利な条約の下では、列強と対等の国になることはできない。そればかりか属国の扱いさえ受けかねない。散髪と脱刀も改革の一端で、欧米列強のやり方に合わせることから始めようとするものであった。

「実を結ぶと良いな」

 遠里は楽観的に言ってみたが、

「良いな、ではない。実を結ばせなければならないのだ。どんなやり方を使っても良い。そうでなければ日本は永久に欧米列強の小間使いをさせられることになる」

 宗右衛門は悲壮感を伴って返事をした。仕事において立脚する位置の違いを遠里は感じた。宗右衛門とはもはや見ているものからして違うのだ。

 二人はあぜ道の終わりで足を止め、来た道を振り返るように田を眺めた。少し前まで青い稲穂の隙間から水鏡が覗いていた田は、大きく育った稲に地表が隠されて青一色になっている。さっきまで悲壮感を以て語っていた宗右衛門も、幼い頃から学問や武芸の一方で眺めてきた景色に感じるものがあったのだろう、柔らかな表情で視線を遠くへ投げていた。

 青田の中で動き回る農民たちがいる。見知った顔はないが、南瓜作りに大事な知識を授けてくれる農民を知る遠里は、彼らにふと親近感を覚えた。

「しかしこの景色は良いな」

 遠里の語りかけに、宗右衛門は無言で頷いた。

一揆などでなくならないことを願うばかりだな」

 ふと胸によみがえった、税負担の重さから来る生活苦を嘆く声が、遠里の願望と合わさって口を衝いた。

「そんな噂があるのか」

 宗右衛門は詰問するように言った。それは心配からではなく、不穏な動きを潰そうとする、職業軍人としての使命感に根ざしたものに聞こえた。

「俺の望みだよ。お前もこの景色が一揆を鎮圧するためとはいえ踏み荒らされるのは望まないだろう」

「ならば良いが。しかし最近は東北や関東で一揆が相次いでいると聞く。先頭に立つ者ばかりでなく、引っ張られる者もそれなりの働きをしなければ、とても欧米列強と肩を並べることはできまい」

「他に窮状を訴える術がないのだろう。やむを得まい」

一揆を起こす輩の肩を持つつもりか」

 宗右衛門は気色ばんだ。宗右衛門の中の何かが変わってしまったような気がする。

「どうした、お前らしくもない」

 率直に感想を述べたが、宗右衛門には意外だったらしく、言葉を詰まらせた。

「そう見えるか」

「今まで感情的になるのを見たことがなかったからな。何かあったか」

 友人の立場で何か言いたかったが、

「色々あって簡単には言えないな」

 と、はぐらかされてしまった。本心かもしれず、宗右衛門は苦笑していた。

「言えないようなことなのか」

「心配されるほどのことではない」

 宗右衛門の態度には頑なさがあった。気軽に触れるのもためらわれる

 遠里は友人としての心配さえ宗右衛門に届かなくなっているのが残念だった。時や年齢と共に立場や見ているものが変わっていき、それに伴って価値観が変わるのは無理からぬことだろう。しかし最後まで変わらないのは友人としての絆ではなかったか。

「我らは士族として日本が前へ進むのを託された立場にいるのだ。立場は違えど、力を尽くさなければなるまい。それを妨げる者は斬り捨ててゆくのみだ」

 遠くを眺めて笑う宗右衛門だったが、遠里には横顔に不吉な影が差して見えた。遙か彼方を見る双眸に移るのは青い山や空であろう。しかし夏野に生きる人のことまで見つめる目には思えなかった。

「前へ進むのは大切なことだ。しかし」

 遠里は敢えて懐疑的な言い方をした。知っている宗右衛門なら、何気ない風を装って先を促すはずであった。

「しかし、何だ。さっきからお主は奥歯にものが挟まったようなことばかりを言う。何か気に食わないことがあるのか」

 再び気色ばんだ宗右衛門が、世の中の変化の毒に中てられたかのように思えた。言い争うことはしたくなかったが、清十郎をはじめ庭の南瓜を通じて知り合った農民たちを思うと、宗右衛門の言葉はあまりに傲慢だった。

「進むためにこぼれおち、取り残された者がいる。それが一揆を起こす源となっているのではないか」

 お前に言っても詮無いことだが、と付け加えたが、妨げになるなら容赦は要らぬ、と宗右衛門はにべもない。

一揆はもちろん、脱退騒動や士族の困窮を知らないわけではない。しかしそれは、新たな世の中に合わせられないのが悪いのだ。己の無能さから来る窮状を全て救えるほどの余裕は、我々にはない」

「それが政と呼べるのか」

 遠里は声を上げた。それまで鳴いていた蝉が一瞬声を止めた。その間空気の震えが残り、自分たちの周りだけ時の流れが止まったような気がした。

「お前に言っても詮無いことだろう。しかし、それではあまりに」

 遠里は責める言葉や目標が思いつかず、言葉が継げなかった。

 遠里の声を前にした宗右衛門は狼狽し、言葉を出せずにいた。

「お前に言っても、詮無いことだろうが」

 宗右衛門とて、御一新を成し遂げ新たな世の中の舵取りを担う者たちからはあまりに遠い。しかし彼の傲った言葉は新政府の傲慢の一端に思えた。

 ここで宗右衛門に怒りをぶつけても、彼に何かを変える力はない。それでも賛同することだけは避けたい。ただ恵まれた立場にあるというだけで、移り変わる世の中の後へ取り残される人々のことを忘れる男に成り下がりたくはなかった。

「これでは何のための御一新だったのか」

「言うな」

 今度は遠里が絶句する番だった。宗右衛門は目の力を取り戻し、険しく遠里を見つめた。

「言うな。人は及ばざることばかりを抱えている。だから救えぬ者も出てくる。しかしそれが人だ。どうしようと変え難き人という生き物なのだ。それでも御一新は正しかった。それを推し進め、意味のあることにしようと邁進する新政府も正しい。そうでなければ、時を超えていけなかった者たちがあまりに報われないではないか」

 遠里は譲れぬものを抱えた人間の強さを垣間見た思いだった。宗右衛門とて傲慢な言動に何ら疑問を感じないわけではない。ただ、欺瞞しなければならないだけなのだ。優しく人に寄り添うだけでは切り抜けられないのが、新政府が対峙するこれからの世の中なのだろう。

 末端とはいえ、これから自分もそんな冷徹な政治に関わらなければならない。それに耐えていけるのか。

「お主、まさか農民に情が移って、帰農しようなどと考えているのではなかろうな」

 まさか、と遠里は言下に否定した。しかし胸の奥に鋭い痛みがあった。

「言っておくが、我らは生き方を変えるにはもう歳を取り過ぎた。既に自分だけの身でもない。己の信念や信条だけに従って生きていける、そんな青い時期はずっと昔に過ぎたのだと心得ることだ」

 仕える先は変わり、仕事の意味も変わってくる世の中である。それでも働くのは、決して自分自身のためだけではない。登世と誠。家族がいるからだ。

「言われるまでもない」

 遠里は言い、やがて家路に就いたが、苦い思いが消えないままであった。

 宗右衛門は半月後に旅立ち、その知らせをしたためた文を寄越した。暇があれば必ず帰ってくると書く一方で、来年になれば遠里の方からも来てみるが良いと誘う内容であった。その時には街を案内し、夜には酒を酌み交わそうと続いていた。宗右衛門の友人としての性質は変わらず、寸前で誤解を解くことができたと遠里は安堵した。

 末尾には互いに任された仕事に精進しようとあった。軽率な判断をするなと暗に戒める意図が見て取れた。

 遠里はすぐに返事を書いた。末尾の一文に関する考えも添えてやろうと思って書き進めたが、どうしても友人の心配を解消するような言葉が出てこない。自分の胸にいくら深く問いかけても、却って不安をかき立てそうな思いばかりが浮かぶ。

 悩んだ末に遠里は、末尾の文章には触れずに返事を書き終えた。不実を働いた気もしたが、のどかな景色の向こうに冷たい政治の世界を見ていた男の心をかき乱すことこそ不所存に思えた。

 宗右衛門はきっと、九州の端から東を、そしてもっと広く遠い世界を見ていたのだろう。そこで自分自身をどうやって活かすかを、沈着な表情の裏で考えていた。

 その結果取り残された人々が不遇を託っても仕方が無いという。救うだけの余裕が、御一新を経た日本には残されていない。それを承知で突き進む強さこそ、明治の世の中で政に携わって生きていく人に求められる素質かもしれなかった。

 自分はどうであろう。遠里は初めて士分から士族となった自分自身に悩んだ。しかし答えは一つしかない。家族を養うためには、青臭い気持ちは邪魔であった。

 

 刈り取った稲を田の周りに並べて干す時期が過ぎると、農家の仕事は一段落し、冬へと移り変わる。一仕事終えた後の寂しさと共に、無事に仕事が終わったことへの安堵が漂う。晩秋から初冬にかけての農村特有の空気であった。

 冬ざれもやがて春兆す頃へ進む。その日を穏やかに待つばかりだと思っていた遠里の耳に、安徳村で一揆の報が入ったのは、その日の勤めを終えて家路に就いた後であった。遠里は安徳村へ取って返したが、着いた時には村長の家が焼かれるなどの被害が出ていて、とても収拾のつかない状況だった。

 やがて御親兵が鎮圧に乗り出し、一揆の中心だった農民たちは瞬く間に抑え込まれていく。逃げ惑う農民たちと御親兵たちは、足下に何があろうと構わずに走り回る。一夜明けると、収穫を終えたばかりの土地は踏み荒らされ、家々にも被害が出ていた。火薬を扱う遠里の仕事馬は御親兵が死守してくれたおかげで被害はない。死者が出なかったのはそのおかげと言えた。

 遠里は一揆が鎮圧されていく様を眺めていた。そして何度も、税の重さに嘆く声を思い出していた。

 関東や東北に比べて農業技術が高く、税が重いなら収量を増やすことで対抗できる底力を持つと思っていた。しかし現実に一揆は起きた。筑前の農民の我慢さえ上回る苦しさが、一揆につながったのだろうか。

 遠里は荒れた村を歩き、知り合いを探した。村には働く間に知り合った農民が何人かいて、彼らの安否が心配だった。

 最初に出会ったのは、南瓜の増やし方を教えてくれた清十郎であった。彼は変わらない屈託のなさを見せてくれたが、眠れなかったのか疲れのにじむ笑顔だった。

「大変なことになりましたな。これじゃあ火薬を作るどころじゃないでしょう」

「それは安田さんも同じはずです。土地が荒れてしまって」

「今は収穫が終わったばかりですから、すぐには困りませんがね」

 遠里は清十郎と並んで腰を下ろした。

「原因は、やはり税の重さですか」

 他に考えつかなかったから、首を振った清十郎が意外だった。

「それもありますが、直接のきっかけは髷を切ったことです」

 どういうことかと訊き返すと、一揆が起きる直前、村長が村人を集めて、ある下男の髷を切ったのだと言う。それだけでも物議を醸す出来事だったが、下男を無理に座らせ、髷を切ったというから、それが暴力的な行為に見えたらしい。税の重さなどでたまっていた不満が村長の行動で暴発し、一揆につながったのだという。

「そのせいで御親兵に何人か連れて行かれました。おそらく、末路は」

 その先を清十郎は言わなかった。知った顔があったのかそれ以上を口にはしたくないようだった。

「土地が踏み荒らされたことより、人手が減ってしまったのが痛いですな。傷ついただけなら春には働けるようになるでしょうが」

 清十郎の声は、もう帰ってくることのない人へ呼びかけるようだった。

「どうあれ、まずは直すことから始めなければ」

 遠里は田を眺めて言った。それは何気ない言葉であったが、

「そんなことはわかっています」

 清十郎は思いの外強い調子で言い返した。たじろいだ遠里は清十郎を見遣る。彼は一瞬気色ばんだ顔を見せたが、すぐに悄然とした態度となった。

「申し訳ない、あなたに苛立っても仕方がない」

 遠里は気にしないでくださいと言うので精一杯だった。いつも温和だった清十郎が初めて見せた感情の揺らぎが、いまだに遠里の胸を揺さぶっている。

 自分にも何かできないか、と言いかけて遠里は口を噤んだ。明治以前から土と共に生きてきた人を前に、一時の感情で以て何かをしようなどと不実だと思えた。教わる立場で清十郎を助けることもできないだろうし、相応の力や知識があっても清十郎は拒む気がした。身分差がなくなったとしても、生活の基盤における差異は厳然と存在し、それが互いの分限でもあった。

 そうかと言って、沈んだ表情をしている清十郎に何もしてやれないのが悔しい。消えたはずの身分差に苦しめられるのは思いもしないことだったが、その理由もまた思いがけないものだった。

 清十郎と別れて家路に就いた遠里は、帰宅するなり庭に降りた。春から夏にかけて芽を出し、花を咲かせ、実をつけた南瓜のあった場所は、眠りに就いたように色をなくしている。二度にわたって収穫できたのは清十郎のおかげだと思っているが、その恩を返せないのが歯がゆい。

 囚われているものから脱する方法が一つ思い浮かんだが、それは自分だけにはとどまらない問題を巻き起こすだろう。しかし近しい人の力になるためには、このままでいられないのも確かであった。

「何か気になることでもおありですか」

 寒夜の庭先に佇んでいる夫を心配したのか、登世が気遣わしげな声をかけてきた。

「南瓜が次もしっかり芽を出せば良いと思ってな」

「そうでしたか」

 登世は微笑んだが、安堵の表情ではない。夫に対する心配はいまだ消えていないようであった。

 家族で夕餉を終え、誠が眠りに就いてから、遠里は登世に安徳村で一揆があったことを告げた。平素感情の揺らぎを見せない登世は、珍しく驚き、怯えの色さえ見せた。そして思い出したように、

「南瓜の増やし方を教えてくださった方の村ですね」

 と、清十郎の安否を尋ねるように言った。

「清十郎は無事だった。しかし何人か御親兵に連れて行かれたようで、それに心を痛めているようだ。何の力にもなれないのが悔しいが」

「何故ですか」

「士族と農民の間には、お前が思うより分限の差が大きいのだよ」

「四民平等とは、嘘だったのでしょうか」

 平素従順な登世が珍しく言い募る。遠里は驚きつつ、議論の相手が思いがけず現れたことを嬉しく思いながら首を振った。

「嘘ではなかったさ。ただ、お互いにこれまで生きてきた場所が違うだろう。その差はいくら努力しても埋められるものではないのだよ」

 登世は反論しなかった。彼女の実家もまた士分であった。男女の立場の違いはあれど、幼い頃から武家のしきたりや生き方を間近で見てきた人間である。時に奔放に振る舞うこともできる農民との違いを肌で感じたことがあるに違いなかった。

「どうしたら身分差を超えて気遣いをしてやれるのだろうな」

 議論は行き詰まり、答えはでない。半ば投げ遣りになって遠里は言った。それに対する登世の返事は思いがけないものだった。

「あなた様も田畑へ降りてみれば良いのでは」

 それは遠里が他にないと思っていた選択肢である。しかしそれを登世が示すとは思わなかった。背中を押してもらうつもりがあったわけではないだけに、登世の言葉は胸に響いた。

「今南瓜を育てているではないか」

「それだけではなく、もっと広いところでもっと多くのものを育てるのです。そうでなければ望みは叶わないと思います」

「帰農しろと言うのか」

 登世は穏やかに笑って頷いた。登世から帰農を勧めてくるとは思わず、遠里は二の句が継げなかった。

 あるいは望みであるのかもしれない。心は火薬を製造することより帰農することを願っている。ただ、それには生活という厳然たるものが立ちはだかる。

 その心配を正直に打ち明けると、気にすることはないでしょうと登世は言った。

「わたしは平気です。誠もいよいよとなれば家を捨てさせれば良い。家が傾く頃、誠もそれだけの行動が起こせる歳になっているでしょう。思うように生きて良いと思います」

 不安を読み切ったように登世の言葉は的確だった。良いかどうかと思い悩むのは、登世の前に意味はなかった。

 林遠里が退職を願い出たのは、明治四年暮れのことであった。

 

 三

 

 春先に植えた南瓜の種が芽吹き、黄色い花を咲かせる。自然にとっては当たり前だが、変化を見守る人にとっては子供が歩き出すのを見るほど胸に迫る出来事で、自分たちが拓いた土地が健康なことの証でもあった。

 その生長を妨げる雑草取りで今日一日が終わった。気温が高くなっていく中、四つん這いになってひたすら雑草をむしり取っていく作業で、歳の近い者などは暑さにやられることもあった。五月の中頃から始めている作業ではあるが、雑草の生命力や繁殖力はすさまじく、一日怠るだけでその時期の穂先に迫る背丈になる。

 遠里は自分の持ち分が終わると、両目を覆う金網つきの眼鏡を外して田畑を見渡した。六月から七月にかけての草取りでは、稲穂の生長も著しいため、葉先に目を突かれてけがをすることがある。金網つきの眼鏡はそれを防ぐためのものであった。

 遠里は自分がまとめる班の者たちに号令をかけて、今日の仕事を終了させた。下は二九歳、上は五〇歳から成る男たちは、全員が士族であり、明治二年以前から苗字帯刀を許されてきた武家の者たちである。遠里のように藩や県から与えられた仕事を辞してまで農業の世界へ飛び込んだ者もいるが、大半は職を失ったために帰農した。

「あとは成果がついてくれば良いのですが」

 家路に就く頃、柿本禎三が話しかけてきた。遠里より年上の五〇歳の彼は長い下積みの末四十を超えてから侍に取り立てられたものの、御一新によって職を失い帰農した苦労人である。困窮を経て帰農する者たちは、安定した立場を捨ててまで帰農した者たちと対立しがちであったが、最年長の禎三が間に入ることで何とか集団としての和を保つことができていた。この約半年は、禎三の存在なしには成しえない時間であった。

「我々は生きるために働いていますから。それが叶わない仕事とわかれば、皆も離れてしまうでしょうな」

 言いながら遠里は、各自の間にある温度差を感じていた。遠里のように安定した職や立場を捨ててでも飛び込んだ者たちは、それだけの熱意に突き動かされて働くことができる。多少うまくいかずとも、限界を迎えるまでこらえる精力もある。

 問題はやむにやまれず帰農した者たちであった。彼らは熱意よりも先に生活を立たせることを目的に働いている。働く内に稼ぎ以外の喜びや目的を見いだせれば良いが、そのような余裕に期待できるあてはない。生きていく目処が立たなければ、もっと稼げる場所を目指して離れてしまうだろう。

「しかし柿本殿、あなたがいてくれるのは助かります。私ではいくら熱心にやっても金持ちの道楽と斜に構えた見方をする者が出てきてしまいます」

「それは事実として、あなたも苦労しておりますよ。私がわかっているから、存分にやってごらんなさい」

 集団をまとめる最高責任者は遠里だが、その権威の届かない細部を補うのが禎三の役割である。御一新以前、苦労して身分を上げ、それが御一新によって無に帰してもひねくれずに働く姿勢を評価する者は多い。小柄で風采の上がらない外見ながら、どんな相手にも温和な笑顔と言葉で接することができるのは、清廉な人柄によるものだろう。

「しかし若い者たちにそっぽ向かれてはどうにもなりません」

「その通りです。我らのような老体だけでは、とても開拓などできません」

 禎三は白髪の混じる頭を叩いて苦笑した。多くの日本人がいまだ躊躇するように、彼も髷を落としてはいなかった。

 職を失ったり世の中の変化に不安を覚えたりして帰農を志す者は多い。しかし農民たちにも先祖伝来の土地はあって、士族が帰農するからといって長い時間をかけて育てた土地を明け渡すはずはない。士族の帰農は多くの場合、荒れ地の開拓から始まる。熱意だけではどうしようもない仕事で、若く力強い肉体を持つ男たちに期待を寄せざるを得ないのだった。

「これから暑くなってきますが、まだ草取りは続けなくてはなりません」

 今日一日の仕事と、明日以降も繰り返す仕事を思い、遠里は言った。遠里自身楽に考えたことはなく、一日ぐらいやらなくても平気だろうと雑草の生命力を侮りたくなる時がある。しかしわからないことばかりの日々の中で、根拠に乏しい判断こそ危険なものはない。かつて何気なく捨てた種から南瓜が芽吹いたように、自然の生命力は人間の想像を超えるのだ。

「やれやれ、老骨にむち打つとはこのことですな」

 禎三は笑った。日中はかなり気温が上がったし、若い者でも時々暑さにやられて木陰で休む者も出た。働けなくなっては困るので遠里は休むことを推奨したが、怠け癖がつかないかと心配になってしまう。

「さよう、我々は既に老いています。だからこそ若い者に期待もしなければ立ちゆかないでしょう。この夏の世の中を生きていくために」

 炎天下にさらされているのは自分たちや開拓地だけではない。日本中が、ひいては明治という世の中全てが熱を持っている。御一新がその端緒なら、それから間もない今は盛夏であった。

 近年まれに見る暑さを乗り越えていくには体力がいる。それを持ちうるのは若い者たちであろう。彼らを信じ、帰農を成功させる。それこそ安定した地位を捨ててまで未知の世界へ飛び込んだ自分の役割であった。

「夏の世なら、青さが似合うでしょうな」

「さよう。我々のような枯れ色でなく、瑞々しい色です。これからの田が染まる色です」

「それなら楽しみです」

 その青みが深まるほど、次の季節の実入りも大きくなる。これから土の上に広がるはずの色を思うと笑みがこぼれる。それが現実になる日が待ち遠しくなるのだった。

 禎三と別れて自宅へ戻った遠里は、上がり框に腰を下ろして靴を脱いだ。それからすぐには立てなかった。登世が迎えに来るまで待とうと思ったが、気がついたら床に転がっていた。それを、肩を揺さぶった登世が起こした。

「平気ですか」

 気遣わしげにのぞき込む登世に、遠里はぎこちなく頷く。

「今どうしていたんだ」

「どうって、床に寝転がっていたんですよ。今までそんなこと一度もなかったのに」

「そうか。まったくわからなかったが」

「のんびりしている場合ですか。余程疲れているのではないですか」

 従順な登世が珍しく言い募る。

「ああ、それは否めないな」

 ここ最近はずっと晴れていて、気温もかなり上がった。何度汗を拭いたかわからないし、簡単に休んだら示しがつかないと思って働き通しだった。おかげで遠里が最も広範囲の草取りをこなすことになったが、体力の過信は禁物だろう。

「わかっているなら、もっと考えて働いてください」

 それでも何とかしてみせる、と喉から出かかった言葉を、登世の硬い声が押し戻した。

「あんまり疲れて倒れでもしたら、困るのはわたしたちだけではないのですよ」

 柔らかい言葉ながら、登世ははっきり無理を咎めていた。元々帰農を呼びかけたのは遠里で、まとめ役の立場にもある。もしもの時は禎三に代理を任せることも考えたが、彼の優しい人柄だけでは従わない者も出てくるだろう。

「済まぬ」

 やや向こう見ずであったことを謝りながら、起こしてくれたことへの感謝を一言に込める遠里であった。

 その三日後、遠里は一日の取り仕切りを禎三に任せた。彼は理由を聞かず快諾し、遠里も心おきなく家で休むことができた。

 さりとて、本来なら働いていなければならない日である。体は勝手に日が昇る前に目覚め、何かをしようとして手足は落ち着かなく動くが、目標を見つけられず畳の上をうろつくだけで、やがて庭を眺めて過ごすのに落ち着いた。

 蝉が鳴き始め、日差しの厳しさが増してくる。光は記憶の奥を突き、音や光景を呼び出してくる。ほとんど同じでありながら世情の異なるある夏の日のことであった。

 あの日は確か、最初に登世が水を持ってきた。

 記憶の中で、湯飲みが床に置かれる音がした。それと重なって耳にもほとんど同じ音が届いた。

「お珍しいこともあるものですね」

 記憶と違うのは、からかうような響きの声が添えられたことだった。

「自分で休むように言っておきながら、よく言う」

「わたしは何も言っていません。選んだのはあなた様ですよ」

 何食わぬ顔で言い、登世は隣に座る。それもまた記憶の奥から引き出された光景に重なり、やけに新鮮だった。

「苦労しているようですね」

「そうだな。本来なら四十を超えた身で始めることではないな」

「あのままでいることもできたのに」

 登世の声は静かで、遠里の選択に疑問を呈するようなものではなかった。

「あの時は偶さか仕事があって、立場にも恵まれていた。全ては偶さかだったのだ。その偶さかからこぼれ落ちた士族の方が多く、それを一人とて救ってやることもできないのでは、新たな政に関わる理由がないと思ってな」

 鎮西で働く宗右衛門は順調に出世を遂げているようで、寄越す文の文面にはそれを誇る心がありありとにじむ。己の役目を自覚し、志を高くして邁進する姿は素晴らしいが、誰のための仕事か見えてこないのが気になる。一度彼と話をしてみたいが、忙しいので無理だと返事をするばかりで、別れてからの約一年で一度も会えていない。

 最近遠里は嫌な想像をすることがある。宗右衛門が、友人が権力の毒に冒されているのではないかというものだ。己のことを懸命に考えるあまり視野が狭くなり、自分の動きが周りにどんな影響を与えるか見えていないのではないか。彼の仕事ぶりを全て知るわけではない遠里は、全て思い過ごしであってほしいと願うばかりであった。

「しかしこれから帰農する者は増えていくはずだ。いよいよ士族から戦う役目を奪う時が来た」

 登世は良いことではないですか、とばかりの呆然とした顔を見せた。

「役目を失うとは職を、ひいては魂を失うということにもなる。俺のように自らそれを受け入れられる者ばかりなら良いが」

 御一新以前なら許されないことであったし、仮に成せたとしてもあぶれ者のそしりを免れなかったはずだ。いくら世の中が変わり、それを許すような道理が現れたとしても、最後の判断をする人間の心までは簡単に変わらない。

 巷では徴兵令が公布され、それまで士分が担ってきた戦いの役目を平民が担うことになった。特に三〇代までの働き盛りなら、士分として培ってきた力を充分に発揮できないまま平民に役割を奪われるように感じるのではないか。帰農した士族たちの中にも、他の士族たちが上げる不満に共感する向きが出ている。似たような身の上だけにそれを咎めるわけにもいかず、触発されて極端な行動に出ないことを願うばかりであった。

「世の中は誰に生きていてほしいのでしょうか」

 遠里は言葉に詰まった。困窮する人間は掃いて捨てるほどいる世の中で、全てを救えないのは当然だろう。その分かれ目を、新政府はどこに置いているのか知りたくなった。

「きっと自らの言葉をしっかり聞き、恨まずに働く者だろう。それほど聞き分けの良い人間などいるはずもないし、何より新政府の要人たちがわかっているはずなのだがな」

 参議として政府に復帰しながら意見対立によって下野した薩摩の西郷隆盛は、御一新以前は決して身分の高い士分ではなかったし、工部省の伊藤博文などは御一新の時点でさえ二十七歳の若輩者だった。身分制の上で出世を望めなかった者や年若い者によって成し遂げられた御一新は室町時代末期の下克上にも等しいことで、それが国全体と関係各国を席巻したからこそ誰もが不安に迷うのだ。

 その迷いは、身分に恵まれなかった者ほど大きい。現在の政府要人たちも、まかり間違えばいわゆる不平士族と同じ立場に立っていたかもしれない。その想像に行き着く者が、現在の政府には少ないのだろう。同胞と呼べる人々を助ける心も方策も足りていないようだった。

「あなた様ならわかるのではないですか」

 意識が遠くへ飛んでいた遠里は、登世の澄んだ声に気を引かれた。身分や生き方に恵まれないまま過ごす人々のことが、自分にわかるというのか。自問しながら登世にも訊き返す。

「何がわかると思う」

「士族の人が刀を捨てることの苦労と、土を通して表れる自然の営みを。あの日南瓜の芽が出たのは、わたしにもこの上ない驚きでした」

 夜になると光は届かなくなるが、五年前に芽を出した南瓜は、根付く土地を変えても代を重ねて夏が来るごとに芽吹き、実を付けている。何気なく捨てた種に生の可能性を与えたのは自然だが、その後も生き続けることができたのは、人の世話によるだろう。それを与えた自分を突き動かしたのは、何よりも喜びであった。

 利を挙げるのも大事だが、同時に喜びを見出す者がいないとも限らない。そのような人間なら、利を追い求める者より自分とわかり合えるだろう。遠里は新たな希望を見つけた気分だった。

 夏を超えて収穫の時期を迎えると、思い描いた通りの色に田は染まった。収量自体は目標に届かなかったが、一年を過ごしたことは帰農した士族たちに利益以上の充実感をもたらしたらしい。翌春、誰一人欠けることなく戻ってこられたのは、何よりも強い手応えであった。

 一度の収穫期を経た新しい開拓地を耕すと、必死だった一年目とは土の硬さに違いを感じる。誰もが夏とはまた違った疲れを感じているようだった。

 昼を迎えて遠里は休憩を命じた。それに従って全員が田から引き上げる。その時ちょうど、中村七之助という若い士族と一緒になった。人なつこい笑みを浮かべながらさりげなく隣に座る彼は最年少であった。

「鍬の手応えはどうだ」

 何気なく訊くと、刀よりは軽いですよ、と打てば響くような返事があった。

「しかし使い方がだいぶ違うので、難渋しています」

「先端を振るう相手も違うし、目的も違う。苦労するのは当然だ。当座の生活の方が大事だからと言って別の稼ぎを目指すのも一つの手だったかもしれん」

「何を弱気な。誰もそんなこと考えてはいませんよ」

 七之助は清々しく言い切った。遠里とて今までついてきてくれた者たちの内心を疑うことなどしてはいない。自分が安定した職を捨てたように、彼らにも彼らなりの覚悟があるのだ。

「済まぬ。しかし世の中の動きは大きいな。我々がこうして土地を新しく切り拓くのも、その変化の賜かな」

 先祖伝来の土地を耕す農民に比べれば、ほんの一年しか土の上で暮らしていない自分たちの業績など微々たるものだ。しかしこれまで土と関わりなく暮らしてきた者が鍬を持つようになったのが、悪い変化だとは思いたくない。世の中の変化に抗うより倣うことに賛否はあるだろうが、自分たちには合っているのだと思いたかった。

「その変化を成すために必要な金とはどこから出てくるのでしょう」

 それは全くの不意だった。遠里は若い男の横顔を見る。さっきまでの人なつこさは消え、本質を見通すような遠い目をしていた。

 遠里は迷い、思った通りのことを告げた。

「我々が生活の足しにしてきた禄からだろう」

 七之助は耳を疑うと言うような顔をして、身を乗り出してきた。

「いや、それは将来のことだ。七之助よ、世の中が変化したと言うが、それが具体的に何なのかわかるか」

「それは、士分が士分でなくなるようなことですか。帝も髷を落とされ、皆が先を争うように髷を落としました」

 武士という身分が現れたのと同時期に発生した髷の習慣も、約八百年を経て明治天皇の手によって断ち切られた。髷のない頭を揶揄し、強硬に反対してきた人々も、天皇が身を以て示したことには従うしかなく、散髪屋は賑わっているという。

 遠里も明治天皇の行動に従い、断髪した。まだ仲間内では決断しきれない者もいるが、彼らの断髪も時間の問題だろうとみていた。

「それも一つだ。しかし東京では鉄道なるものが走っているという。これが普及すれば馬の荷役は必要なくなる。それから電信、これも進歩すれば飛脚は職を失う。暦も変わり、外国と貿易を対等に行う商品として糸を紡ぐための製糸場までできた。今はまだ良くても、これらを発展させ、維持させていくには金がいる。その時真っ先に削られるのは士族が拠り所とする禄なのだ」

「そんなことをされては、士族は死に絶えます」

 七之助の声は怒りで大きくなり、辺りに響いた。

「そうしたいのかもしれない」

 遠里は努めて冷静に言った。七之助は冷水をかけられたように口を噤んだ。

「今年の春先にあった佐賀の乱を思い出すが良い。あれの首謀者は新政府に功のあった江藤新平だ。その功を以てしても許されずに処刑された。従った兵たちも容赦なく斬られた。中央政府にいた者たち同士の争いだから、単なる不平士族の乱では片付けられないかもしれないが、政府には士族を助けるつもりなどないと見えるよ」

 遠里は七之助の反論を待った。この変化の中でも希望を見つけるには、乱暴な意見への反発を以てするのが一番であった。

 しかし七之助は黙り込んでいた。まるで先を促すかのようである。感化させてしまったかもしれないと思ったが、今更楽観的なことは言えず、遠里は悲観論を続ける。

「徴兵令にしてもそうだ。政府は士族が士族として生きていけない世の中へ変えていくつもりなのだ。そうだとすると我々は恵まれている。士族として生きられなくなれば農民として生きていけばいいのだから」

 仕方なく遠里は希望を示してやった。士族がいくら政府に苦しめられても、自分たちのしていることが揺らぐことはないのだという思いを込める。

 対する七之助の返事は、思いがけないものだった。

「そうまでわかっていながら、どうして助けないのですか」

 鋤や鍬を持って働いている場合ではない、一刻も早く武士らしく立つべきだと、遠里を責め立てるような響きだった。表情も消え、ほの暗い光が双眸に宿って見えた。

 若い心が政府への義憤に燃えている。それはあたかも変化を成し遂げようと命を賭した維新の英傑たちと同じ性質のものであった。

 惜しむらくは、それを持てる七之助が十五年は遅く生まれてきたことであった。

「お前の助けるとは、佐賀の乱に刀を持って従軍することか」

 遠里は努めて冷めた声を出した。七之助はたじろぎ、おずおずと頷く。

「もしそれをしてしまっては、何のために帰農したのかわからなくなってしまう」

 自らの意思で職を辞した時点で、自分たちはどんなに求められても武士に戻ってはならないのだ。すぐ近くでかつての同胞が苦しんでいても、農民の分限を超えるような手助けが必要なら、断らなければならない。

「かつての同胞たちのために殉じたい気持ちも大事だが、お前は何のために刀を捨てたのだ」

「それは、役目を無くした武士は遙か過去へ戻るのが道理と思ったからです」

「そうだな。身分も魂もない時代の土を守っていた頃へ我らは戻ったのだ。そうやって生きると決めたのだから、もう変えてはいけない」

 七之助は頷いた。彼に似つかわしい力強さが見て取れないのが不安だが、七之助を信じるしかできなかった。

 遠里は立ち、七之助も従う。午後に入っても、同じように鍬を持つ時間であった。

 鍬を振り下ろして耕す時、刃先に伝わる感触はかなり硬い。腕力だけでは深く突き刺すことができず、腰を入れなければ鍬を使う意味がない。

「硬い」

 七之助もそう呟きを漏らした。その声には疲れがにじむ。自分自身の疲れと共鳴するような気がした。

 歳の近い禎三に体の具合のことを訊くと、彼も疲労を訴えた。

「土が始めに比べて硬くなった気がします。それで余計に力を入れないといけなくなったのが原因でしょう」

「原因を探らないといけませんな」

 遠里は時間をかける覚悟を固めたが、

「それはおそらく、暗渠排水のせいでしょう」

 禎三はあっさり原因を見抜いた。暗渠排水とは去年土地を拓く時に施した排水の構造である。遠里たちが開墾を任された土地の問題点は水はけが悪いことで、広い土地を前にしながら農民たちは敬遠していたのだ。

 それが遠里たち新たな働き手の出現で状況が変わった。土地を切り拓くのを若い働き手に任せ、排水の問題を解決して乾田とした。その解決策が暗渠排水である。土地の地下に土管や粗朶を埋めて集水し、排水できるようにしたのだ。

 乾田化することで、稲を乾燥させやすくなり、長く保存しても腐らせることがなくなった。去年収穫した米はいまだに保存ができている。しかし乾田化は土を硬くするために、人の力で耕すのに必要な労力が増えていた。

「疲れるからと言ってあの構造をやめるわけにはいきません」

 禎三は言い、遠里も頷いた。一年間士族たちを従わせることはできたが、成果が乏しいままでは二年目以降が苦しくなる。まだ士族の中の過激派が不平士族として反乱分子に変わるかもしれない時節である。禄が少なく生活の見通しが立ちにくい士族たちにとって、帰農することは希望にすがることでもあった。その希望が、自分自身を救うほどでなかったと絶望すれば、極端な行動に出かねない。

「さよう。暗渠排水が最新なのです。農業に限らず、全ての技術革新の心は能率化と省力化です。疲れを減らす方向に持っていけば、必ずや答えが見えます」

 遠里はこの十年近くで自分自身がずいぶん変わったものだと思った。武芸を磨いたり射撃の精度を上げたりということは熱心にやってきたつもりだが、その奥底にある心まで見通す気持ちは持っていなかった。目の前の結果が全てで、見えないものを見透かす努力は足りなかったように思う。

「そうですな。能率化と省力化です。人間ならそれを追い求めるのが自然です」

 禎三の言葉に勇気づけられた。遠里はそれから、集団の幹部たちに呼びかけて資料や文献を集めさせた。この筑前で行われていた農業について、乾田化に対応したやり方を調べるつもりであった。暗渠排水自体は徳川幕府の時代からあるから、必ずどこかに適応してきた農民の記録があるはずであった。

 やがて見つけた道具は、人間の体ではどう扱って良いかわからない代物であった。

「こんなものが筑前にあったのですか」

 資料を元に探し出したそれは、犂というものであった。牛馬に曳かせ、それを後ろから人間が御する。乾田化によって硬くなった土地を耕すために、農民たちが使ってきた農具であった。

 遠里は知己である清十郎に訊いて、犂の使い方を聞いていた。農民であれば牛馬の御し方と一緒に犂の使い方を習うものであり、人によって巧拙はあるものの、村の中の壮丁なら使える農具ということであった。

 遠里はこの農具の使い方を、若い士族たちに教えてやってくれないかと清十郎に頼んだ。久しく会っていなかった男の頼みを聞いてくれるか不安もあったが、清十郎は快く引き受けてくれた。

「まだ南瓜は健在ですか」

 別れ際に訊かれ、場所を移してはいるがずっと代を重ねています、と答えた。

「だったらこちらも、農民冥利に尽きるというものです」

 清十郎は日に焼けた顔をほころばせた。役目をこなしているだけでなく、仕事を通じて何かを残そうとする男の誇らしげな表情であった。

「それは私事です。今は米に集中する時です」

「士族の方々も大きな変化の前に大変な目に遭っているようですな」

 一揆という暴発を目にした清十郎の声は少し悲しげに響いた。清十郎自身はそれほど苦しんではいないようだったが、ごく身近には一揆を起こすほど追い詰められた人間がいた。外側から見ているからこそ、農民と士族の苦しみを並べて感じ取れるようであった。

「受難と言って良い世の中でしょうが、腐らずに働いていけば必ず結果はついてきます。きっと我々の代では大きく変わらないでしょうが、やらなければ次、その次の世代が更に苦しむことになります」

 四十の後半まで達した自分は、数年後に登世と誠を遺して逝くのかもしれない。今の努力は全て、若者やもっと次の世代のためであった。

 遠里は次の春に牛や馬と犂を伴って士族たちに農業指導を行うという約束を清十郎と交わした。もっと早くするべきだったという思いもあり、帰農したことでいっそう深く結びつくことができた男との絆が心地よく思えた。

 清十郎と農業を通じて関わったのは帰農して初めてのことで、五年は経っていると思えた。荷役に使う姿ばかり記憶に残る牛が田畑に入る姿は異様なものに思えた。人が耕す領域へ家畜が入るということに眉をひそめる者もいたが、その作業の速さを見ると遠里を含めて誰もが黙り込んだ。

「あんなものがあったのか」

 牛を御し、犂を操る清十郎を見守る士族たちから感嘆が漏れる。清十郎は手綱を巧みに操りながら、声を上げて牛を歩かせ、端まで行くとゆったり回る。よく観察していると手綱の使い方にもいくつか種類があって、乗馬のそれとは似て非なるものである。しかしかけ声には共通するものが多い。特に牛を叱咤する時の毅然とした声は、よく知る男に似つかわしくない張りがあった。

 清十郎はこれまで三人で耕していた広さの田を一人で耕し終えた。その時間もかなり短縮できていた。遠里は能率化と省力化のためにこれを導入すると宣言し、清十郎が連れてきた農民たちに早速指導させ、遠里もその中に加わった。

 他の者たちがそうであるように、遠里も触れることがあるとすれば馬がほとんどであった。そのせいで牛が妙に大きなものに見える。その上に鈍重で、鳥がやかましく羽音を立てても反応しないし、あまつさえ背中に止まっても追い払おうともしない。

「牛は馬に比べて足も遅いので、あまり広い土地を耕すのには向いていませんが、その分扱いやすいものです」

 馬の気性を知る遠里たちにとり、清十郎の説明は納得できるものだった。少々の音で驚いたり見境無く暴れたりする馬に比べ、牛の方がはるかに御しやすく思えた。

 しかし田畑に牛馬を入れるということは、思い通りに御せば事足りるというものではない。誰もが何らかの形で馬に触れていたため、牛を御すのに慣れるのは早かったが、その牛馬の曳く犂を思うとおりに操れなければならない。初めて触れる農具である上、牛馬を御すことと犂を操ることを両立させるのは思いの外難しく、まっすぐ進めない者が続出した。

 皆が苦戦するのを横目に見ながら、遠里も清十郎の指導の下犂に挑んだ。近くで見ると牛の威容に圧倒される。気まぐれな唸りさえ噴火の予兆のように思えて及び腰になりそうである。牛も馬も同じ家畜と思えば良いが、昔に比べて力の衰えた身には、御し方のわからない動物への怖れを克服するのは難しそうであった。

「まずは犂をつけるところからです」

 清十郎の手によって牛の背に小鞍が乗せられる。鞍骨と鞍床の二つから成る小鞍は、藁製の腹帯の上にある。小鞍は牛馬にとって重心となるもので、犂と牛馬をつなぐ曳緒、犂先の方向を決める止め木、牛馬を操る手綱が取り付けられている。これら装具の取り付け方がまずいと、牛馬をうまく進ませることができないばかりか消耗させたりけがをさせたりすることになる。基本的な順番を守って取り付けるのが大事と言って、清十郎は準備を終えた。

 遠里も清十郎の後を追って小鞍を載せる。清十郎のやり方を見ながら準備していくが、小鞍の位置がなかなか決まらない。今まで清十郎に素朴で遠慮深い人柄を見てきた遠里だが、折り合いを付けることを簡単には許さない職人めいた真面目さが清十郎の目に宿って見えた。付き合いのあった相手だとしても遠慮するつもりはないようであった。

 二時間近くかけてようやく清十郎に許されたが、そこで清十郎たちと約束した時間が来てしまった。彼らにも仕事があり、今日は半日だけの約束で指導を頼んだのだ。一日指導をしてもらいたいが、その間本業を休まなければならない彼らへ払うものを簡単に用意できないのが歯がゆかった。

 清十郎たちは三日置いて、再び指導にやってきた。遠里は彼の前で教えられたことを再現してみせる。見た目には問題なく思えたが、清十郎にとってはそうでないらしく、細かい位置や手綱のつけかたなどを直されることになる。それでも清十郎たちとの約束の時間の中で、犂を実際に扱うところまで来ることができた。

「シー」

 遠里は教わった通りのかけ声で牛を前進させた。耕耘に使う牛と馬の間には違いがいくつかある。馬は手綱を二本要するが、牛は鈍さにより一本で済む。そしてかけ声にも違いがある。牛馬を進めたり方向を変えたりする時のかけ声は馬と同じで、武士として武芸に励んでいた頃の経験が役立ったが、動きを止める時のかけ声が違っていた。

「ワー」

 馬であれば「ドー」と声を上げるところであった。その違いがどこから来るのか気になったが、農民たちの長い経験でわかったことで、真実は牛馬にしかわからないだろう。

「その調子です。多少曲がっても気にしないことです」

 清十郎の声に、遠里は若い頃を思いながら返事をする。遠里と牛が歩いた後は曲がっていたが、前へ進めることはできたし、方向の転換も滞りなかった。

 かなり気を入れて犂と牛を操ったせいで両手のひらは一日中ひりつく痛みがひかず、その後人間用の鋤を扱うのも辛い状況であったが、この痛みの後に成果が待っていると思えば構わなかった。

 体力的に追い込まれる日が続くと、時には上がり框でふっと横になり、そのまま眠り込んでしまう日がある。その時遠里は、決まって犂を扱う夢を見る。しかしどんなに練習を重ねても夢の中では進歩せず、耕す土の深さはまちまちで苦闘が続く。そのうちに登世が起こしに来て、現実へ戻ってこられたことと、手の痛みが初めの頃に比べて弱くなっていることに安堵するのだった。

 牛と犂の扱いに慣れていくのに並行して、遠里は馬を使うことも考え出した。牛は力が強く、特に粘りの強い土地で力を発揮するが、鈍重で足も遅いため、能率という点では馬に劣る。適材適所を考えなければならないが、そのためにもできることを増やしたかった。

 今や遠里の相談役となりつつある禎三にその考えを打ち明けると、興味を示しながらも農民たちにばかり頼ってはいられないでしょうと答えた。

「今更武士の誉れがどうなどと言うつもりはありませんが、彼らは善意で我らの指南役をやってくれています。それに甘えてばかりでは恥でしょう」

 清十郎は気さくで、時に生意気な態度を取る若い士族を厭わず、血気盛んな若い農夫たちをよくまとめてくれている。しかし彼とていつまでも働けるわけではない。少年時代、父の直内の背を見て、自分も父のようになるのだと誰に言われたわけでもなく思い込んでいた。

 直内は福岡藩に剣術指南役として仕えた人で、幼い頃からよく稽古をつけてもらっていた。やがて父を剣で超えることは叶わないと知り、それまで培ってきたものを砲術に昇華させ、御一新を超えた。そのままでいれば父の道を継ぐような生き方ができただろうが、御一新後間もない夏、庭で見た芽吹きと滅びゆく者たちへの思いから、安定した暮らしを捨てて、少年時代思いもしなかった道へ踏み込んだ。何が、どんな形で変わってしまうか、誰にもわからない世の中である。武士が鍬や鋤を持つことも、農民に武士が教えを請うことも、二十年前は誰も予期しなかったはずだ。変化は人の想像を遙かに超えている。

 遠里と禎三は、やがて指南役の農民たちに頼らなくても済むようにと、田畑を耕す一方で資料と知識の収集を始めた。ちょうど夏に差しかかる頃で、たまの寧日さえ外へ出て、農民たちの元へ恐縮しながら知識を授かりにゆく日々であった。

「帰農して思ったのですが、農民というのは逞しいものですな」

 遠里の家にて集めた知識が書き記された紙片を書物のように編む作業をしている時、禎三がふと言った。

「今更言うことでもないでしょう」

 それは帰農したばかりの頃に遠里も抱いた思いであるが、間もなく五年になろうという今は、驚きもほとんどない。

武家に生まれ、武を以て仕えてきた我らは人の相手をしていれば良かった。しかし農民たちは人以外の者ものをも相手にして、時には戦わないと生き残ってはいけない。そう思うと、何故彼らが我らの下にいたのかと不思議に思えましてね」

 最近士族たちが学んでいる牛馬耕は農業の歴史においては決して新しくない。平安時代の記録に現在の犂の原型が登場しているし、暗渠排水についても地域によっては徳川幕府の時代から行われていた。

 牛馬耕を偉大に感じているのかと思って、牛や馬の扱いの巧みさを認めると、そればかりではないですよ、と禎三は答えた。

「人以外のものとは、牛馬には限らないでしょう」

 遠里にも何を指しての言葉かわかった。牛馬だけでなく、稲を食い荒らす虫やそれを更に食う小鳥、稲を冒す病気や、一切の苦労を破壊する天変地異。それらが収束して農民たちに襲いかかる飢饉。これらの苦難と最前線で戦うことを運命づけられた農民たちは、飢饉の時には真っ先に死んでいく。それでもその土地から離れなかった者、生き続けた者たちが現在に技術を伝え、帰農した士族たちを支えている。

「それに彼らは、家禄のような施しを初めからあてにしていません」

 役目を失った者たちへの保障である家禄を施しとするのは言葉が過ぎるように思えたが、身分制度の上で最も上にいたはずの武家が、養う者がいなくなった時最も弱くなるという現実を前にすると、卑屈な思いに囚われるのもわかる気がした。

「もし家禄に類するものがあったとしても、それが打ち切られても生きていくでしょう。我々はどうでしょう」

 禎三は珍しく不安げな言葉を重ねていた。

「士族となった武士の拠り所が少しずつなくなっていく世の中ですから、それも有り得るかもしれません。ですが我々は平気でしょう。帰農してもうじき五年になります。あなたの逞しいと思う立派な農民です」

 明治政府は東京を中心としていくつもの改革を進めている。それは制度であり、国民や役人の意識であり、技術であり、徳川幕府の時代には考えられなかったことばかりである。

 成し遂げるためには人々の熱意が不可欠であろう。同時に資金も捻出しなければ立ちゆかない。何度考えても、そのために行われそうなのは家禄の廃止であった。

「働かなくては生きていけないのは誰でも同じでしょう。働くほど不安も薄くなっていきます。それで良いではありませんか」

 禎三への言葉は、そのまま自分自身に跳ね返ってくるようであった。家禄がなくなっても農業である程度生活を立てることはできるが、五十歳近い男の身には辛い仕事なのは事実で、ある日突然体が悲鳴を上げ、動かなくなってしまう怖れと隣り合わせの日々であった。

 しかしほとんど同じ立場である禎三は、澄んだ表情で、

「そうですな」

 と答え、作業に戻った。生活への不安もこの先に待つはずの喜びも、懸命に働くことで浮つかず穏やかに迎えられると信じる表情であった。

 まとめた資料をもとに遠里と禎三は、月に一度勉強会を開くことに決めた。元々知識階級の近くで育った者たちで、学ぶことの必要性は御一新以前の動乱で理解している。彼らは反対意見を述べるでもなく素直に従ってくれた。

 いざ勉強会を始めてから、遠里は足りないものがいくつもあることに気がついた。馬のことを学ぶのは良いが、農民たちからの自立を考えるのなら仔馬を牝馬に生ませ、育てることから始めなければならない。馬と暮らすこと自体に抵抗はないが、軍馬と犂を曳く馬の間に違いがあるのは瞭然であった。

 若い士族たちの助けも得ながら調べたところによると、赤子と同じで常に愛情を以て手入れしなくてはならず、調教ができるようになる満二歳頃になっても、定期的に鞍を外して休養させなければならにという。

 その一方で、犂を曳く前に丸太を曳かせ、人間の命令をしっかり聞くように調教しなければならない。馬は聡明な生き物というのは共通した認識だが、元来は畜類である。勝手気ままに振る舞う危険を念頭に置いて、必要なら叱咤したり懲罰を科したりしなければならないという。

 そして主人のために良い働きをしたのなら充分に愛撫し、賞罰を明らかにする。そうすれば必ず馬は理解し、人間を愛護者として認めるようになる。

武家の馬とよく似ています」

 そのような意見が若い士族たちの間から上がる。遠里も少年時代触れたことのある調教のやり方と重なるところを多く見たが、農場での馬は速く走るのが目的ではない。力強く犂を曳き、かつ人に扱える程度の速さで歩いてもらう。全ては乾田化された土を砕いて深く耕せるようにするためだ。

 既に田植えを終えた時期のことで、実際に活かせるようになるとすれば来年になる。そのことを思うと、禎三と語らった不安を忘れられる。それだけに、八月に入ってから士族の間に駆け巡った秩禄及び賞典録廃止の決定は思いの外衝撃的だった。

 遠里は禎三と話し合い、不安を出さず自分たちの仕事に努めようと決めたが、若い者たちはそうはいかず、草取りの間も心ここにあらずというものが続出した。

「帰農したのはこうなっても困らないためでもあるだろう。我々なら乗り切れる」

 そう言って鼓舞を重ねた遠里だったが、廃刀令まで出されるとは思いも寄らなかった。こればかりは農業でいくら稼いでも解決できず、乗り切れない問題を含んでいた。

「武士の拠り所を全て奪うとは」

 遠里の仲間だけでなく、全国から怨嗟が聞こえてくるような決定だった。以前出された法令には強制力がなく、抵抗した者がほとんどだったが、今回は軍人や警察以外は刀を捨てなければならない。役目を失った士族が、自分たちの拠り所を確認するために必要だったものを失うことになる。遠里にもその苦悩は痛いほどわかり、今の仕事に努めて忘れれば良いなどと無責任に言うことはできなかった。

 秩禄処分と廃刀令に怒った士族たちが行動を起こしたのは十月のことであった。熊本にて神風連が徴兵令によって集められた兵士たちと交戦する。明治政府の勝利に終わったが、同じ九州で出身を同じくする士族たちの行動に、帰農した者たちの心も揺れた。

「彼らに続くべきではないのか」

 稲の収穫が終わるのを待っていたかのように、仲間内でそのような意見が聞こえだした。はじめはごく一部の意見に過ぎず、遠里も止めようと言葉を重ねるが、何よりも刀を奪うという決定が大きかったらしく、士族をないがしろにする明治政府へ天誅を加えるべきという過激な意見が次第に幅を利かせ始めた。

「我らはもはや農民だ。乱世ならともかく、これからの農民は鋤や鍬を武器に持ち替えてはならぬ」

 遠里は必死で声を上げて彼らを止めるのに努めた。若い労働力が貴重なのは事実だが、変わっていく世の中にせっかく順応できそうだった若者たちを戦いの道へ戻しては元の木阿弥であろう。度重なる飢饉にも負けなかった農民たちのように、自分たちも困窮する士族たちのために働く場所を残さなければならない。そのために最初の世代である自分たちがつまずくわけにはいかなかった。

「刀を奪われ、保障も奪われ、それでいつまでも続けられるものですか。あなたがたはあと数年働き生きていけば退場できる。だが我々は、次の世代はそうはいかない。今行動しなければ、この先も士族は苦しむばかりです。あなた方にはわからないでしょう」

 感情的になっているとはいえ、若い士族たちから年配者たちへの挑戦と取れる言葉が飛んできた時はさすがに言葉を失った。共に働き、共に学んだ自分たちの間には結束があると信じていたのに、現実は拠り所のなさから来る不安におののくだけで揺らぐ脆弱なものに過ぎなかったのだ。

 そして口火を切ったのは七之助であった。仲間内では最も若い彼の意見に勇気づけられたように議論は過熱する。

 そして意見は三十五歳を境に二分された。それは取りも直さず、この先の暮らしに希望を持てるかどうかの年齢で分かれたように見えた。

 その時点で遠里は議論を止めた。冷静な年長組も熱狂する若い者たちに触発されたように声を荒らげることが増えてきた。少し間を取る必要があると思った。

「仕切り直しには良い頃合でした」

 禎三はそう言って遠里の判断を褒めた。

 翌朝になればお互いに熱も冷めて、多少は穏健な話し合いができるだろう。そう考えていた遠里は、翌日聞かされた知らせに絶句した。

「逃げた、ですと」

 珍しく慌てふためく禎三の知らせに、遠里はようやく一言返した。

 禎三が差し出した文には、七之助をはじめとする若い士族たちが連名で、武士道に殉じることを宣言する内容がしたためられていた。

「一体どこへ」

 彼らの熱狂ぶりを見ていれば、武士に戻って死ぬことを決めた心持ちは理解できる。しかし死に場所に選ぶ場所と、身を投じる戦いについては全く想像できない。神風連の乱に始まり、これからいくつもの反抗が勃発するだろうが、その心当たりは多すぎて、遠里にはどうしようもないことに思えた。

「九州の中にはいくつもの火種があります。特に南端には、政府さえ怖れる特大の火種が」

「西郷さんか」

 ふと思いついた名前を口にしても恐れ多い感じはしなかった。薩摩藩の中心的役割を果たし、参議にまで上り詰めながら意見対立によって下野した男は、直接の関わりはないものの、違う道を行く遠里にとっても不思議な親しみを覚えるものだった。

 今は故郷に引きこもって農作業に精を出しているという。下野した後に二度起きた政府への反乱に協力しなかったことから、この先簡単に立つことはないと思える。しかし一度反乱に参加することを表明したら、七之助たちは迷わずついていくだろう。そう思うと武士の鑑のように崇められる男が死に神のように思えてくる。戊辰戦争の折、緒戦となった鳥羽・伏見の戦いで、幕府軍から戦いを仕掛けるように挑発行動を取ったのは、西郷の策であったという。

「ともかく戦が一度起きてしまった。これから勢いづいていくでしょう」

 禎三の危惧は間もなく的中する。神風連の乱の二日後、同日に秋月党が福岡で反乱を起こし、萩では西郷隆盛の直後に下野した前原一誠に率いられた明倫館で挙兵する。そのどちらにおいても相手となったのは、前原が反対した徴兵令で集められた平民出身の兵士たちであった。

 実践においての経験は少ないものの、それを補ってあまりある武器の質と練度によって政府軍は士族たちの意地とも言える反抗を打ち砕いていく。三つの反乱において、政府軍は負けなかった。

 最後まで抵抗したのは福岡の秋月党であったが、それも一週間で終わってしまった。反乱鎮圧が宣言された十一月一日、遠里は七之助が秋月党に参加し、戦死したという悲報に触れた。他にも牛馬耕を共に学んだ若い士族たちの名前がいくつも挙げられ、生き延びた者たちも行方をくらましてしまった。鹿児島の西郷隆盛を頼って落ち延びたのではないかという噂が立った。

「あたら命を無駄にするとは」

 農地に残った男たちからはそんな声が上がった。収穫の終わった今、多くの労働力は必要としない。しかし自分たちの後を継いでくれる者たちがいなくなってしまったことは、遠里たちの心に大きな穴を開けた。いくら学びを深めても、それを共有できる相手が減ってしまったことで、喜びも薄れてしまった。そのうちに遠里の呼びかけに応えて農家の元へ学びに行こうとする者の数は減り、十二月には不要論まで出る始末であった。

「及ばざることを抱えることがこんなに苦しいとは思いもしませんでした。私は今、やり場のない怒りと悔しさを抱えています」

 遠里はどんな時も味方でいてくれる禎三にそう漏らした。

「及ばざることばかりに苛まれるのは私も同じです。されどそれは人の証明でしょう。私もあなたも人です」

 それはいつか友人から聞いた言葉に似ていた。相次いだ反乱への対応で忙しいのか、まるで知らせは入ってこない。まさか斬られたり撃たれたりはしていないだろうが、その分農地から駆け出していった若者たちが命を散らしていったのかもしれない。どちらを支持すればいいのか、遠里にはわからなかった。

 胸に角材を押しつけられたような鈍痛を覚えたのは、冬のある朝であった。禎三と共に冬の過ごし方について清十郎の元へ教わりに行くところだったが、息も満足に吸えず寝込むことを余儀なくされた。

 医者は昼前に着いた。氷雨が降り出していたが、嫌な顔をせずに遠里の体を診てくれた。

「疲れでしょうな。聞けばその歳で牛や馬の御し方を学び直し、犂を操れるように奮闘していると言うではありませんか。本来ならそれは壮丁の役割なのに、その歳で不慣れなことをするのは元々無理があるのです」

 医者の声は心に優しく染み入ったが、同時に若い仲間たちを失った喪失感に塩を塗った。

 医者は充分に養生してくださいと言い置いて立ち去った。清十郎と禎三に断りの連絡を入れ、遠里は家で休んだ。外は身を切るように寒く、布団の中でぬくぬくとしていられるのはこの上ない喜びであるはずだが、足を止めざるを得ない肉体の老いが恨めしい。

 残った仲間は、遠里より年下とはいえ皆若くはない。疲労が重なった結果突然の死も有り得るだろうし、一線を退くまで間がないだろう。その時受け継ぐ者がいなければ帰農の苦労が無に帰してしまう。

 遠里は氷雨の音を聞きながら誰もいない田畑を思い浮かべた。雨がやめば土は凍てつき、再び作物が根付くまで労働が必要となる。乾田を人の手で耕していた時に匹敵する労力となるかもしれない。そう思うと気持ちは果てしなく憂鬱になっていった。

 眠りに落ち、音が消えそうになっていた時であった。戸を開く音がした。それがやけに懐かしいものに思え、遠里はふと上体を浮かせた。

「具合は良さそうですね」

 登世は心配するでもなく、気軽さを装って話しかけてきた。

「そう見えるか」

 遠里は笑みを浮かべた。今すぐ歩き出せるほど体調は戻ってきていないが、いつもと変わらない登世を見ていると、疲れ果てた体も回復が近いような気がしてくる。

「起き上がれるなら、平気でしょう」

 無責任にも思えたが、登世の口から出ると気遣いを装って聞こえる。それは人柄もあれば、長い時間をかけて築き上げた時間がもたらすものもあるだろう。

「冷えるな」

 上体から布団がずり落ちると冴えた空気を感じて素直な感想が口を衝いた。雨は変わらずに降り続き、体の芯が冷えていく心地だった。

「そうですね」

 そう言って登世は小鉢を差し出してきた。食べやすく切り分けられた南瓜の煮付けだった。

「なあ、登世。我らは無理を通してきたに過ぎないのかな」

 わずかに登世が身じろぎしたような気がしたが、言葉は聞こえなかった。

「取り残された者たちを見捨てるような世の中を拒んで違う地平を目指してみたが、やはり武士は武士であった頃のことを忘れられぬ。折り合いをつけられたのは老い先短い者たちばかりで、きっと数年で終わってしまう。無理は通らぬものかな」

 先へ進もうとする世の中と、それに追いつけずこぼれ落ちてしまう者たち。その差が開きだした頃から抱いてきた思いが形を取って胸を占めたような気がした。きっかけは世の中への反発であったが、武士と農民は過ごしてきた時間の種類があまりに違う。幼い頃から教え込まれた道から外れ、こらえたところで補いきれるものではなかったのではないか。

 御一新の直後の夏に見た芽吹きは、遠里に人の分限を超えた自然の営みを意識させた。それまで気づかず通り過ぎていたものへ目を向けさせるきっかけでもあった。それが根幹となって、農民としての林遠里を作った。今まで自分についてきた者たちも似たようなきっかけがあったのだろう。しかしどれほど土にまみれても武士としての芯は消えず、重心を農業へ移しきることはできなかった。芯の質を変えられないのなら、滅びを先送りしたに過ぎなかったのではないか。

「来年もまた、人が要る。清十郎にも頼んでみるが、どこまで助けてくれるかわからぬ。助けを得てもなお苦しむようなら、余力のあるうちに隠居する方が賢いやもしれぬ」

「その時は南瓜をお作りになりますか」

 以前登世と語らった時にこぼれた夢であった。当時は気楽に笑えたが、挫けた後ではできるかどうかを気にして反応に困ってしまう。

「今作ることができるのなら、この先も作れるでしょう」

 南瓜の煮付けを口にした時にその言葉を聞かされ、遠里は自分の成果を思った。登世が料理に使ったものこそ、鋤を振るうところから始めて作った南瓜であった。

 登世の言葉には勇気づける響きがあるものの、先の見えない不安に囚われた今は、自信を持って頷くことができず、

「それならいいが」

 と、ため息交じりになるのを止められなかった。

 体調が戻った日の朝は冬晴れとなった。朝餉の後遠里は田畑を見てくると告げてそぞろ歩きに出た。暗渠排水が施された冬の田に水はなく、人の姿もない。最近の冬の田はどこでも同じだと言うが、春になってから人が戻ってくるか考えると不安がある。自分のように体調不良を訴え、そのまま田を離れる者も出てくるのではないか。

 人の手で動かされる田畑には静かになる時があっても良いだろう。しかし静かなままではないかと思ってしまうと、感慨にふけるどころではなくなってしまう。

 眺めるのが辛くなって戻ろうと思った遠里は、帰りしなに禎三と出会った。

「もう体は良いのですか」

 禎三は喜ぶ前に驚きを見せた。もっと長くかかると思っていたらしい。

「医者から言われたわけではないですが、おそらく」

「そうですか。しかし若いならともかく、医者の話も聞いた方が良いですな。何かあった時に取り返せる歳ではないのですから、慎重でなくては」

 禎三は言い、足を止めて静かな田を眺めた。どこかへ行く途中ではなかったのかと訊くと、ここへ来るつもりでした、と返事があった。

「おそらく同じではないですか。田を眺めに来たのでは」

「ああ、それは」

 そぞろ歩きが会話のきっかけになるとは思わず、遠里は戸惑いながら返事をした。

「これからあと三月もすれば、人が集まってくるでしょうな」

 遠里は予期せぬことを聞いたように声を上げた。

「何か妙なことを言いましたか」

 怪訝そうな顔で禎三が振り返る。

「いや、人が集まると言うから」

「ここは田なのですから、当然でしょう。人がいなくてはできません」

「人が、稲を育てられるだけの人が集まるでしょうか」

 胸を占め、大きくなりすぎてつかえていた不安がするりと口から抜け出たような感覚だった。そして一度不安が抜け出るとわずかながら楽になる。そして意外に小さなものだと思うことさえできた。

「一度くらいは来るでしょう。そうでなくとも、少なくとも私は来るつもりです」

「二人きりであったなら」

「二人でできることをするまでです。それで成果が限られたとしても無理からぬことと思えば良い。何も来年で全てが終わるとは限りますまい」

 禎三は前向きで、努力が必ず実を結ぶと信じている風であった。

 それが一人となったら、と遠里はふと思ったが、希望を捨てない禎三を前にして口にするのははばかられた。ただ、できることをすれば良いという言葉だけが胸で妙に長く響いていた。

 禎三としばらく田を眺めていたが、やがて彼の方から帰ろうと言い出した。

「老人には辛い寒さですな」

 自嘲するように笑い、禎三は手をすりあわせた。

「お互い、老け込むには早いでしょう」

「違いない。まだ働けます」

 禎三の笑顔に曇りはなかったが、彼に前向きなことを言わされたような気がした。人の良い彼には似つかわしくない気の遣い方に思えたが、胸に残る不安の澱が薄められた気がする。

 これは友のする気遣いだろうか。御一新以前の、親に言われるまま武芸や学問に励んでいた頃には何度か感じた気持ちが、青臭さの消えた胸の中で燃えている。この歳になって感じるとは思わなかった気持ちであった。

 思いもかけないことは続いた。帰る道すがら、何度も見知った顔に出会ったのだ。

 皆共に土地を切り拓き、均した土地から作物が採れるように汗を流した男たちであった。これからも来るかどうか信じられないでいた仲間たちであった。

「二人きりどころではありませんな」

 禎三はにやりとして言った。四歳年上の彼は、もしかしたら不安の正体を全て見透かしていたのかもしれない。

「そうですな」

 遠里はうまい言葉が思いつかずにとりあえず返事をしておいた。一方で胸に宿った気持ちが、今度は簡単に冷めないような予感も覚えていた。

 それは絶えさせてはならない希望であった。自分には及ばざる力が胸に熱いものを宿し、育とうとしている。それを生かすも殺すも自分次第であろう。人の気まぐれで芽吹いた南瓜の芽が何度も自然の円環の中で育ったように、胸の内に宿った芽を大事に育てていくのだと遠里は誓った。

 

 医者から快癒したというお墨付きをもらい、早速遠里は清十郎の元へ向かった。遠里の回復を喜んだ彼は祝いの酒を振る舞おうと言ったが、それを断って早く学ばせてほしいと頼み、それを同行した禎三に急がば回れですよとたしなめられる一幕もあった。どうあれ、止まっていた足を再び動かすことができたように思え、遠里は喪失感が薄まっていくのを感じていた。

 年が明けてからは仲間たちと話し合う機会も増やした。若い力が離れ、もしかしたら散ってしまったかもしれない、それを止められなかったという無力感に苛まれたのは誰もが同じで、だからこそそれを止めるにはどうすればいいかという論点で議論は進んだ。

「それこそ深耕です」

 禎三が言い、遠里も頷いた。清十郎から聞かされた言葉で、生産力を上げるという目標はそのまま深耕の希求に置き換えられるということだった。

 若い士族たちの不安は、農業で生活を立てられるかどうかという、仕事としての農業への不信感にあった。帰農した士族たちの農業は、それを避ける方向へ向かわなければならない。

「言うまでもなく、田畑においては土が大事だ。自然のままの土地の深さは一定ではないし、肥えているかどうかも違う。しかし理想は肥沃で深い土地だ。生産力を上げたいのなら、そういう土地を人の手で作らなければならない」

 そのための道具こそ犂であり、成し遂げるのは牛馬であった。深く耕すほど水の巡りは良くなり、肥料の分解や吸収力も強くなる。加えて根も広く深く張ることができる。暗渠排水を施している以上やり過ぎるわけにもいかないが、これからの田は人の力だけでは到底満足な収量を上げられない。

「やり方を学ぶと同時に、道具を作ったり耕耘用の牛馬を調達したりしなければなるまい」

 仲間の一人がそう言うと、次々と意見が出てくる。多くは口からこぼれ落ちただけのような意見であったが、それを禎三が拾い上げては洗練して遠里に伝え、最終的に遠里がまとめ上げる。歳を重ねた自分たちにもまだ熱が宿っていることを知り、遠里は胸にこみ上げるものを感じた。

 やがて議論は役割を決める方向へ向かった。田畑を管理して作物の収穫を目指すのは全員の役目だが、良質の牛馬を得るつてを探す者、道具を作る者、牛馬耕の方法を探る者と、根底を支える知識や技術を得る必要を確認し合う。遠里は犂の作り方と遣い方を学ぶために、引き続き清十郎の元へ通うことになった。

 清十郎に自分たちの決定を伝えると、それは難しいですよと難色を示された。

「牛馬耕をこれから深めていくのは良いですが、犂を一から作るのは職人の仕事です。刀もそうではありませんでしたか」

 清十郎自身も、使い方を学ぶのが精一杯で、自分自身で作ってみようと思ったことはないということだった。武芸を磨いていた頃の自分と同じで、刀鍛冶の元へ通って鍛え方を一から学ぼうなどと考えたことはない。

「しかしそこまで情熱が続くとは。商売に失敗してますます落ちぶれる士族が多いというのに、林さんのところはよくやっています」

「我らとて働くとなれば何でもやります」

「それがきっと、失敗する士族との違いでしょう」

 清十郎は感心しきりだったが、遠里は曖昧に頷くにとどめた。秩禄処分や廃刀令の後、生活のあてを失った士族たちが商売を始め、あえなく失敗するという話が巷ではよく聞かれるようになった。士族の商法などと揶揄されるそれらの話に登場する士族は、決まって御一新以前の封建制度を忘れられず不遜な態度で客に接したために失敗しているが、それは一つの側面に過ぎないだろう。多くの士族は世の中の変化に合わせた生き方をしようと懸命になっている。その失敗が全て揶揄される結果になっているに過ぎないのだ。

 清十郎と意見を戦わせるつもりはなく、

「我々はそれほど上等な生き方をしているつもりはありませんよ」

 と、謙虚さを装って言うにとどめた。

 次の春に播く種を探し、それと並行して知識を蓄え、誰もが使えるような状態に整理していく。自分の役目に邁進する一方で、九州の南端がきな臭くなってきているのを鎮西の宗右衛門からの文で知り、その中心になりそうなのが西郷隆盛であると聞いて、遠里は大きな戦を予感した。

 西郷が創設した私学校の若手たちは一月二十九日以降陸軍省所轄の弾薬庫の襲撃を繰り返し、政府の密偵を捕縛するなど敵対的な態度を強めていった。その二週間あまり後、ついに西郷は立ち、多くの士族が従った。その中に帰農して共に農業に精を出した仲間たちがいるのかどうかはわからない。誰一人報せを寄越さなかったし、状況を伝える宗右衛門も不平士族の反乱を鎮圧すると意気込むばかりで、敵の中に友人の仲間がいるとはつゆほども考えていないようであった。

「どうなってしまうのでしょう」

 ある日禎三と資料を編んでいる時、遠里はつい不安に耐えきれず曖昧な問いを発した。返答に困るようなことを言いたくはなかったが、禎三は顔色一つ変えず最新式の装備と練度を誇る政府軍が勝つでしょうと言った。

「いや、そうなって欲しいのです。ここで西郷が勝つようなことがあっては、士族はますます危険な夢を見てしまいます。もはや引導を渡すべき時なのです」

 戊辰戦争で共に戦った者の末路を論じるにしては、ぞっとするほど冷徹な意見だった。温和な禎三に、これほど冷めた見方ができるとは思いもしなかった。

「武士は滅びるべきでしょうか」

「もう、ここらで良いでしょう」

 禎三はあくまで冷めていた。ここ数年の士族たちの行動を、単なる意固地さの表れと見ているようであった。

「そうですか」

 遠里は曖昧に返事をして作業に戻った。自分たちの立場からすれば、せっかく帰農したのに士分であったことを忘れられずに争いへ身を投じ、挙げ句死んでいった者たちのことは哀れでしかないし、駆り立てた者たちへの恨みもある。

 今回立った西郷隆盛は、これまで反乱を主導した者たちとは格が違う。禎三は武器と練度の差が勝敗を分けると考えているようだが、西郷についてきた者たちは死にもの狂いで立ち向かってくるだろう。もしかすると西郷軍が装備と練度の差をひっくり返すのではないか。その時、同じ九州で生きる自分たちにも何かが及ぶような気がしてならなかった。

 実際西郷軍は戦いを優位に進めていた。田原坂では徴兵令で集められた農民、町人出身の兵たちを圧倒する。武器の性能には差があったはずだが、西郷隆盛に従った士族たちにはそれを補って余りある士気が宿っていた。それは武器の質を凌駕し、士族たちを実際以上に強くした。

 遠く鹿児島で繰り広げられる戦いに、遠里も危機感を覚えていた。徐々に落ち着きを取り戻しつつある政情が再び不安定になってしまったら、農業を続けていけるかどうかわからなくなる。遠里は今度こそ西郷隆盛がはっきりと死に神に捉えられた。

 遠里は禎三と共に西郷軍の敗北を望んだ。その願いが通じたのか、十七日間の戦闘を経て政府軍が田原坂を超えたのだ。その後も西郷軍は各地を転戦して抵抗したが、徐々にその勢力を減らし、城山の戦いにおける西郷隆盛の自決という形で戦いは終わった。明治十年(一八七七)九月二十四日のことと伝えられる。

 

「終わりましたな」

 宗右衛門からの知らせを最初に伝えた禎三は、悄然とした様子を見せた。西郷軍の敗北を望んでいた割に、喜ぶ気持ちは薄いようだった。

「かつての武士は滅んだのでしょうな」

 禎三と同じ気持ちで戦況を見ていた遠里も、武士の滅びを受け止めてみると寂しく感じた。帰農したとはいえ、現在の立場になるまでまだ五年しか経っていない。それ以前は自分たちも武士であったし、刀や髷の存在を拠り所にしていた。当時のことを思うと、滅びを望んでしまったのは身勝手だったようにさえ思えてくる。

「皆何を大事にして、殉じようと思ったのでしょう」

 遠里は禎三に問うた。それは田畑を飛び出した若い士族たちに向けられた問いに思えた。未だに消息が掴めていない者もいるが、大半は相次いだ反乱の中で戦死の報告を受けている。彼ら若者と自分たち年配者は、守るべきものが違っていたのだ。

「今となってはもう遅い」

 議論は充分に尽くし、引き留めるための努力も怠らなかったつもりだが、それでも足りなかったことが悔やまれる。しかし失われた命も、滅んだものも戻ってくることはない。

「彼らは死に、我らは生きています。生きている者にはすることが山ほどあるはずです」

 禎三は言った。悲壮感のない、清々しい声であった。

 西郷隆盛が亡くなれば、その弔い合戦と称した反乱が起きるかもしれないと遠里は危惧したが、それは杞憂に終わった。二ヶ月経っても士族たちは行動を起こさず、九州にようやく平穏な空気が戻った。

 田畑から採れる作物の収量は減り、下降線をたどっているような状況を不安に思う者もいたが、労働力が減っている中でも仕事を止めずにいられるだけで意味があると遠里は思うことにしていた。

 何より、今年の収穫は作物だけではない。清十郎をはじめとする農民たちについて学んできたことをまとめたものが書物となって世に出ることになった。本来の目的と

は違って遠里は戸惑ったが、帰農した士族たちの生き方を伝えるためにも、出版に大きな意義があると禎三に言われ、その展開を受け入れた。『勧農新書』と名付けた書物に、遠里は士族の次なる生き方を示す道しるべとしての願いを込めた。

 勧農新書の出版をきっかけに、福岡の林遠里の名は広く知られるようになった。特に注目されたのは、犂を使った耕耘方法を掘り起こし、広く紹介したことである。帰農した士族という経歴の異色さもあり、遠里は農業指導者らが集う農談会に呼ばれるほどになった。

 去る明治十二年、興産社という私塾を創設していた遠里の元には、指導の依頼が舞い込むようになった。農談会に出た翌年、長崎県へ出張し農業指導を行う。つい最近まで農民に教えを請うていた自分にできるかと不安はあったが、終わってみれば盛況で、自信をつけると同時に自分のために学ぶだけではもはや立ちゆかないところに来ているのだと感じるに至った。

 自著の出版、農談会の出席、出張指導という経験を経た遠里は、士族出身の異色の農業指導者として世間に認知されていた。そのおかげで犂の職人や会社との付き合いも増え、自分自身の大きさを自覚せざるを得なくなっていた。

「まるで九州の片隅に閉じこもるなと言われているようだ」

 ある寧日に遠里は登世にこぼした。酌をしていた登世は、その言葉に一瞬とっくりの傾きを変え、それからすぐに酒を注ぎ直した。

 誰でもできることを今までやってきたとは思っていない。四十歳を過ぎてから新たな農業の方法を探し、若い力が離れてしまうなどの思わぬ出来事を乗り越えた結果、ようやく人々の評価を得ることができるようになった。初めはまるで目標としなかった地点に着地したのは思いがけず、初めは戸惑ったが、時間が経ってくると慣れて、しっかり根を張って生きる場所を見つけられた気持ちになる。それに努めるほど農業指導者としての自分を慕う者のためにもなるのだと信じられた。

「充分なことをしているではありませんか」

 登世は言い、門人たちが遠里に希望を見ているらしいことを言った。彼らもまた士族の出身で、西南戦争と呼ばれるようになった西郷隆盛の挙兵が失敗に終わったのを見て、農業を志すようになったという。勧農新書には士族授産の願いを込めたから願ったり叶ったりで、これを機に士族たちが前向きに生きてくれれば良いと思った。

 登世が言うように、支持が増えているのなら自分の仕事に誤りはないのだろう。しかし問題は支持を増やすことだけではない。ずっと支持を得ることだ。

 興産社はあくまで私塾である。そこに通う者たちは真剣に学んでいると思うが、一方で楽しさを追求しているように見える。帰農すれば生活がかかった仕事に身を投じることになる。楽しさの追求だけでは乗り越えられない日々が待っている。そのことを門人たちはわかっているのだろうか。

 そうでないとしたら、本当の意味で農業の発展に寄与したとは言えない。方法を考えなければならないと思った。

 久しぶりに農作業へ戻った日、休憩中に自らの疑問を禎三にぶつけると、彼は少し考えた上で、次なる段階は存在します、と言った。

「私塾ではなく会社を設立することです。需要はあるでしょう」

 そして教師を全国へ派遣するのだと彼は続けた。

「たとえば東北では未だに湿田が多く、それが収量の増加を妨げています。湿田の問題点を我らは身を以て体験したはずです」

 九州にいるだけではわからないことであった。二十年前の廃藩置県以前なら、時節もあったから東北の地方を助けるような働きをするなどとんでもないことかもしれない。しかし廃藩置県が成し遂げられた今は、北から南まで天皇の権威の下にまとまった一つの国、日本なのだ。困難が遠くにあって、それを解決する方法を持っているなら、手をさしのべてやるべきではないか。

「あなたが呼びかければ応えてくれる者は多いでしょう。しかしそれにしても、無償で働かせるわけにはいきません。だからこそ会社です。我らが集めた知識や技術を広く伝え、それを担う人物に金を払うのです」

 遠里は家に戻ってから、伝えるべきことを今の自分が持っているかと資料を見直してみた。湿田から乾田へと移行させたいのなら、まず暗渠排水の技術と知識は必須で、その後にある耕耘の困難には馬耕が有効である。その後作物の育て方、田畑の管理、人の使い方、除草、種籾の管理。全て身を以て学んだ知識である。これを必要としている者が、遠くにいる。そう思うと、いてもたってもいられなくなるのであった。

 翌日から遠里は禎三と会社設立の話を始めた。その時には、遠里自身が築いた人脈が役に立った。名誉社員という形で陸奥宗光後藤象二郎といった名のある政治家を迎え、世の中の注目を集めることができた。そのおかげで見込んでいたよりも多くの社員を集めるに至る。

 世の中の信認は遠里の提供する教育を裏打ちした。一定の試験に合格した者は『実業教師』の資格を与えられ、各地の要請に応じて派遣される。それだけ林遠里と実業教師への信頼は厚くなったのだ。

 遠里はその会社の名を『勧農社』とした。かつて自著につけた名前を参考にした社名が、実業教師の手によって広められていく。明治十六年(一八八三年)のことで、士族の最後にして最大の反乱となった西南戦争から六年が経っていた。

 

 四

 

 汽車を降りた時に感じた空気の慣れない感じは、自宅へ近づくごとに薄れていった。入れ替わりに帰国を強く意識するようになる。空気の質が違う国の生活は遠里の肌を変化に敏感にしたようで、五十年近く慣れ親しんだ北九州の夏を初めて経験するような心地であった。

 家の門をくぐって帰宅を告げると登世が出迎える。これも長年繰り返してきたことだが、不思議と新鮮であった。

「どうされましたか」

 心持ちの微妙な変化を感じ取ったように登世は小首をかしげた。年相応に色艶は薄れたが、わずかな仕草で心を和ませる様は変わらない。彼女自身からしばらく離れているといっそう感じ入ることができた。

「久しく会っていなかったからな」

 遠里は素直に心情を語った。

「そのような格好が慣れないせいでしょう」

 登世は背広を指して、上着だけでも脱げばよろしいのにと笑った。ぎこちなさは着慣れない洋服のせいもあったのだろう。髷は過去の風習となって久しく、都市部では洋装も珍しくなくなってきたが、遠里自身は髷を落とした先へなかなか踏み込めないでいる。今回背広を身につけたのは、相手方に合わせたためだ。

「今回はお上の要請でこんな格好をしているからな。家に帰り着くまでは気を抜けぬよ。勧農社の社長が気の緩んだ姿を見せては示しもつかぬだろう」

 言いながら遠里は背広の上着を登世に預けた。彼女も扱い慣れぬ服を、戸惑いがちの手つきで受け取った。

 汗で濡れた洋服を全て脱ぎ捨てて、遠里は内着に着替えた。そして庭先へ降りる。庭の片隅に根付いて久しい南瓜は花をつけていた。

「今年もこの季節か」

 何気なく捨てた種から芽を出した南瓜は、食用に育てるものは条件の良い畑へ移したが、それとは別に庭の片隅に残したものもある。自然の円環を前にした時の気持ちを忘れないために育てているもので、どんなに実りの悪い年でも一つは実をつけてきた。

 代を重ねてきた南瓜を育てたのは自然の土と光である。しかしそれだけでは二年程度しかもたなかっただろう。何年も代を重ねることができたのは人の力だ。人には及ばざることがある。さりとて自然の力も万能ではなく人の力が重ねられる余地があるのだ。

 人も捨てたものではない。我が身を振り返って思うと笑みがこぼれた。

「内着のままで、はしたない」

 登世が呼んだ。

「良いではないか」

 振り返って笑みを向け、遠里は登世の元へ戻った。

「お疲れではないのですか」

 縁側に座った遠里に、横になる準備もできていますのに、と登世は言った。

「気が高ぶって眠れそうにないのだ」

 偽らざる気持ちであった。ドイツのハンブルク港に降り立ったのは数ヶ月前の出来事で、その後フランス、アメリカ、インド、ベトナムと回った。経験のない環境や文化のただ中で気疲れもしたが、見聞が広がっていくことに興奮し、その高ぶりが未だに続いている。

 勧農社設立以後、遠里は所属の実業教師を各地へ派遣する事業を始めた。中国から近畿地方を中心に実業教師は歩き、遠里の十数年の研究成果を広めていった。世間の評判は遠里自身の信認にもつながり、講演の依頼も相次いだ。勧農社設立直後から依頼は途切れず、林遠里と勧農社の名前を全国的へ広めていった。

 有力な政治家を名誉社員に据えたのが功を奏したのか、遠里の名前は農商務省にまで伝わった。今回の洋行はドイツのハンブルク港における商業博覧会での説明委員を務めるためのものであったが、要請してきたのは農商務省であった。

「まさか洋行を依頼されるほどになるなんて」

 海を渡ることになると明かした時の登世は心配を隠しきれなかったが、無事に戻ってきたことで安堵しているようであった。

「心配は要らぬと言っただろう」

 登世の心配を除くために、福沢諭吉岩倉使節団が洋行の結果大きな実りを手にしてきた話をしてやった。登世の心情を思えばそれは的外れであったが、地に足が着いた今はどうでも良いことであった。

「昔に比べたら信じられないことです」

 帰農した時は農業への希望より、変化を続ける世の中への憤りが原動力となっていた。開墾を続けなければ成り立たない仕事は、身分によって禄を得られていた頃には考えられなかったことで、それが打ち切られることで経験した動揺は、やがて若い士族たちの血気盛んな行動につながった。それらを乗り越えてたどり着いた地位と得られた信頼である。遠里自身信じられないところもあるが、養うべきなのは家族だけではなくなった今、社長として堂々と振る舞わなければならない。

 その夜は家で休んだが、次の日から遠里は勧農社へ出向いた。登世は心配したが、本当なら帰ってきた直後に行きたかったところだ。自分が離れていた数ヶ月間を副社長である息子の誠が守っていたはずだが、これほど長い留守は初めてで不安だった。

 その誠も、父が帰着した翌日から動き出すとは思いも寄らなかったようで、休んでいれば良いのにと心配しきりであった。

「自然が相手では休んでいられんよ」

 そう言いながら遠里は、誠と共に社長室へ向かった。それほど広くはないが、実業教師の名簿などを保管する大事な部屋である。

 遠里が洋行している間も実業教師の派遣は行われ、特に東北からの要請が多かったため、それに応じて人を派遣する数ヶ月であった。

「福島と宮城からの要請が多かったので、多く人をやることになりました」

 実業教師の仕事は、究極的には林遠里の代わりをすることである。資格を得るための試験には、鳥取県庁から発行された講演筆記を暗誦し、更に遠里から口頭試問を受けるというものがある。実業教師とは、遠里の代理として寸分たがわぬ指導と講演ができることを求められる仕事であった。

「寒水浸や土囲法の評判はどうだ。実業教師たちはちゃんと伝えられているのか」

 それは陰陽思想と結びつけた独自の農法であった。中国から伝えられた陰陽思想において、寒気は陰の極、陽の元にして万物発生の気を含めるものであるから、春に芽吹いて秋に収穫するものは冬に種を播くべきであると説いた。しかし稲は冬に播くことはできないので、種籾を水に浸したり土中に囲ったりして寒気に触れさせておく。そうすることで冬に播かれたのと同じ効果を得られ、増収を図ることができるというものであった。

「実業教師たちの資質に関しては、父上が一番よく知っているでしょう。寒水浸や土囲法についても、熱心に取り組んでいるようです」

 遠里は一つ手応えを感じた。寒水浸、土囲法共に誰の助けも借りずに作り上げた独自の農法である。それが受け入れられたのなら、農業指導者としての名声も高まっていくはずである。

 二つともしっかり行えば収量は二倍、三倍と増えていく。陰陽思想がどこまで受け入れられるか不安もあったが、世の中の農民たちは文明開化をはじめとする物事の西洋化に食傷気味であったようで、東洋的な思想に基づいた農法は好評ということであった。

「犂はどうだ。いくら種が良くても土をうまく耕せなくては持ち腐れになる」

 誠にとり、一番報告したいことであったらしい。彼は柔和な顔を嬉しそうにほころばせた。

「東北などではまだ湿田が多く、暗渠排水についての理解も得られていないので広まるには時間がかかるでしょう。しかし九州や山陰などではだいぶ受け入れられています。元々それらの地域には受け入れられるだけの土壌もありました。そこに勧農社のお墨付きと進んだ農法が入り込んだのでいっそう盛んになりました。もはや我が社が福岡農法の中心と言っても過言ではないでしょう」

「過言だ、傲るな誠」

 息子を一喝しながら、そう思ってしまうのも無理はないと思った。父親は有力政治家たちを会社の名誉社員にする手腕を発揮し、各県の知事と厚い信頼を築き上げた。各地から講演依頼が相次ぐ時の人となった父を、息子は誇らしく思っているようであった。

 息子に尊敬される父親を目指したわけではないが、それも悪くないと思えるようになった。帰農したばかりの頃は開墾した土地を維持するため必死で働いて知恵を絞ったが、その集大成が会社設立になるとは思いも寄らなかった。

 しかし当時と変わらない気持ちが一つだけある。遠里の胸には、今も不平士族の反乱に身を投じて死んでいった若者たちの面影が残っていた。

 自分や勧農社は、士族たちの希望になれているだろうか。そう問うと、誠は是非もない様子で頷いた。

「社長が元士族というだけで、大きな希望として見てくれる人もいます。きっとその人も士族だったのでしょう。父上と同じ立場で、同じ道筋を行こうとしています。それは日本の発展にとっても良いことなのではないでしょうか」

 北九州の片隅で続けてきたことが、日本の発展に寄与するかもしれない可能性を得た。それだけで充分とも思えたが、養うべき人が増えた今はできるだけのことをしなければならないのも宿命であった。

 遠里の寧日は遠く、翌日も鳥取での講演依頼が入っていた。実業教師にも同じことができるように仕込んだつもりだったが、本物の方が良いのか、遠里自身の人気は衰えなかった。

 この日中心に据えたのは農具、とりわけ犂のことについてであった。

「日本の農具はどれも完全なものとは言いがたい」

 県の公会堂に集まったのは老いも若きも様々であったが、皆一様に日焼けして、土の匂いが漂ってきそうな顔ぶれであった。

 その男たちは、前のめりに遠里の話を聞いている。ちょうど勧農社の実業教師が来ることになっている土地だから、ここで社長自らが講演をすれば受け入れる土壌も作りやすいであろう。そう思って言葉を継ぐ。

「農具の改良は今日農家が努力せねばならないことであるから、よく研究しなければならない。今日は犂のことについて話そうと思う。日本で使用される多くの犂は、深さを一定にするための工夫が設けられている。そのため扱いは容易だが、代わりに深く耕せないので作物はよく育たない。収量を上げたければ深耕を実現しなければならないが、それができないとあっては犂を使う旨みも薄れてしまう。しかし、私の地元、筑前で使われている犂は、扱いやすくするための工夫がないので労力はいるが土をより深く耕すことができ、作物の生育もよくなる」

 遠里は筑前で使われている犂として、抱持立犂を紹介した。犂には犂床という部品がついている長床犂と、ついていない無床犂がある。抱持立犂は無床犂に分類される犂で、犂床がない分安定せず、一定の深さで耕耘を進めるには熟練が必要とされている。

「抱持立犂をはじめとする無床犂は使いこなすのが難しいかもしれない。しかし人が作ったものであり、使える人間もいる。我が勧農社からも、うまい使い方を教える人間を派遣しているので、是非使いこなせるようになってほしい」

 講演の次は、来たる実業教師による実演であった。受け入れやすい土壌を作ったところで社長の仕事は終わり、翌日には福岡へ戻ることになる。できれば自分も実業教師として全国を飛び回ってみたいが。洋行の時のように国からの依頼でもない限り私事都合となるだろうし、それではせっかく育てた実業教師たちの仕事場を奪うことになりかねない。

 講演会場から引き上げる準備をしている時であった。ためらいがちにかけられた声に遠里は足を止めた。

「今、お時間、よろしいですか」

 発音は悪くないが、言葉のつながりが途切れがちで、経験の少ない言葉を喋っているのが瞭然であった。それでも遠里は背広姿の男に好感を持てた。慣れない言葉で語りかける懸命さが、男の人となりを伝えてきた。

 遠里は言葉少なに返事をした。相手が異人であるのは瞭然で、少し戸惑いも覚えている。それを見透かされるのは癪であった。

「先ほどの講演、聞かせていただきました。興味が持てました。それで、少し、お話をと思いまして」

 言葉をうまく組み立てようとして、空転しているような感じがした。見たところ欧州の人間のようで、ドイツ語ならわかると伝えてやるべきか迷った。

「それはそれは。農学校に招かれたのですか」

 ややあって遠里は日本語で応えた。彼が懸命に相手に合わせようとしているのを無駄にはしたくなかった。

「いいえ、地質調査所です」

 異人はマックス・フェスカと名乗り、地質学者として来日したことを告げた。地質研究と犂の話がどこで結びつくのか考えたが、現在は駒場農学校で農学の講義をしているとフェスカは明かした。

林遠里先生が講演をすると言うので、聞いてみたくなりました」

 専門が異なるとはいえ、政府に招かれるほど有能な異人の注目を浴びるのは、思いがけないと同時に嬉しいことであった。

「地質研究の一環として、農業改良の研究をしているところです。先ほどの講演、お噂に違わず、素晴らしいものでした。私も農業改良に犂は欠かせないと考えます」

 その理由を、フェスカは深耕を充分に実現できる道具だからと説明した。

「私が見た限り、施肥量が充分なのに収量が上がらないことが多くあるように思えません。きっとそれは、深く耕せないために作物の根が深く張れないためと考えます。この問題を解決するには、六寸は必要でしょう」

 異人の口から寸という単位が出てきたのも驚きだが、驚くほど似通った見方に引きつけられた。

「よく学ばれておりますな」

 そう言うとフェスカは礼を言った。大きさで日本人を凌駕する骨格ながら、その仕草は堂に入っていた。

「今度来る実業教師には乾田の必要性も説かせるつもりです。常に水が湛えられた状態の田では肥料が根に吸収されにくいですからな」

「乾いた田では土が硬くなります」

「だからこそ、犂を使うのです」

 フェスカとて日本の田の状況についてそれほど明るいわけではない。しかし地質学者だけあって、土に注目して新たな農業技術を編み出そうとするのは新鮮であった。講演が終わったばかりの疲れも忘れて遠里はフェスカと話し込んだ。

 鳥取に調査で出張してきていたという彼は、二ヶ月後に福岡に現れた。今度は農業、特に犂の使用状況について調べるということであったが、その中心にあるのは福岡農法を全国に発信する勧農社であると聞いたと言い、遠里がいる間に会社を訪ねてきた。

 遠里はフェスカをもてなしながら、異人の男からもっと話を聞いてみたいと思った。互いが持つ知識を交換する約束をした。

 互いの予定を合わせて、落ち着いてもてなせる日が来るまで一週間かかった。異人が来ることを事前に伝えてはいたが、それでも登世は緊張しきりであった。

 登世が準備した酒を注いでやると、フェスカは物珍しげに透き通った酒をのぞき込んだ。ライスヴァイン、という呟きが聞こえた。

「日本の酒は初めてですか」

 そう訊くとフェスカは顔を上げ、ドイツにいたことがあるのですか、と訊いた。

「少し前にドイツのハンブルグ港に行っていました。農商務省の依頼で、博覧会の説明委員をしに」

「そうでしたか。本当に、日本人は熱心です。政治の体制が変わって二十年程度しか経っていないのに、もう憲法を作るところまで来ている。それでいて学ぶ気持ちと革新を疎かにしない」

「当然のことでしょう。私はハンブルグ港で初めて世界に触れました。アメリカのマシュー・カルブレイス・ペリーが多くの文物と共に横浜に降り立ち、それに日本人が魅了された気持ちがわかりました。あれを実現する者たちの背へ追いつき、追い越したいと思えば、あなたの言う学ぶ気持ちと革新を疎かにしている暇はない」

駒場での教え子たちを思い出します。歳は違えど、あなたと同じ目をして学びに励んでおりました」

 フェスカは自分自身の経歴について語り出した。勧農社設立の前年となる明治十五年に来日したフェスカの肩書きは地質学者であり、あてがわれた仕事場も地質調査所であった。本来なら農学は畑違いのはずだが、農学も地質学も土が密接に関わる学問である。本業の研究を進める内に興味を抱き、やがて教え子を持てるほどの知識を蓄えるほどになった。

 土を知る男が、土に生きる男たちの仕事に触れ、その長所と短所を知るのも必然であった。フェスカはにんじんの白和えを、異人にしては器用な箸さばきで口に運び、味の良さを喜んでいる。そして米から作られる酒をすすり、農民たちの仕事ぶりを賞賛した。

「こういうものが広く作られるようになるのを望みます。そのためには学問と技術と、それを伝える人が必要です」

「実業教師はそのためにいます。期待にも応えられましょう」

 遠里は言い、新たな酒を注いでやった。フェスカもすぐに応える。知り合ってから短い間柄だが、同じ地平で生きると思うと距離感は限りなく短いものに思えた。

 フェスカは教え子たちのことを語った。若い彼らがどのように日本の発展に寄与していくのかと思うと楽しみだと言い、当初のぎこちなさの取れた顔で笑った。

 その話の中に、横井時敬と酒匂常明という名前が表れた。何かつながりがあるのかと訊くフェスカに、敵ですよ、と笑った。

「いや、私は特に何も感じてはいませんが、向こうは私のことを苦々しく思っているようでして」

 横井時敬と酒匂常明は、共に駒場農学校を出た農学者で、若いが優秀な学者だと聞いている。直接的なつながりはないが、二人ともよく批判的な文書を送りつけてくる。特に寒水浸や土囲法についての批判はすさまじいものがあった。

「横井は今、農商務省にいます。そのせいか、農商務省にも私に批判的な人間が多いようで。この前の洋行でも、農商務省の役人に殺されるのではないかと警戒しながら行ったほどですよ」

 登世に聞かれたら卒倒しかねないと頭の片隅で思ったが、彼女は今繕い物をしているはずだ。

「しかし横井の言う塩水選、あれは素晴らしいと思います」

「簡単にして確実、しかもこれまで注目されてこなかった種籾の扱いに関する方法です。横井はきっと、何かを変えるでしょう」

 まだ公式に発表されていないが、遠里も同業者として横井が考え出した塩水選のことは聞いたことがある。種籾を塩水に入れて沈んだものを播く。塩水に浮かなかった種籾は栄養分である胚乳が多いため育ちやすく、良種を残しやすくなる。特別な技術や知識の要らないやり方は革新の足がかりとなるはずであった。

「批判に、腹は立たないのですか」

 フェスカに訊かれ、遠里は首を振った。

「批判と言っても、彼らは感情任せで私を貶めているわけではない。むしろ受け止めてやりますよ」

 遠里は更に、実業教師には横井や酒匂が唱えるやり方も必要に応じて伝えても良いという指示を出していることを明かした。慢心は禁物だが、勧農社が名実共に福岡農法の中心となる日も近いだろう。その時反対意見を受け入れられない狭量さを持っていては困る。器の大きさを示してやることで、派手な宣伝だけの会社ではないことを示してやるのだ。

「しかし勧農社は、日本農業の発展を目指しています。批判も賛同も全て受け入れた活動ができれば、それは必ず発展へつながります。それこそ目標なのですから」

 賛同と批判が世間からついて回るようになったのは会社設立の直前からであった。名誉社員に有力政治家を迎え入れるというやり方を実現したのは遠里自身の人脈によるものだが、汚いやり口という批判が外から聞こえ、内側からは画期的という賞賛が上がっていたのだ。それは実際に勧農社を設立した後で強くなり、一日たりともやまなくなった。

 それだけ世の中全体から一人の農学者に至るまで、勧農社に注目しているということだろう。社長として冥利に尽きると思いながら、遠里はずいぶん遠くへ来たものだと思った。開墾に精を出していた頃には思いもしなかった結果である。

「この国はどう見えますか」

 フェスカの周囲には誰もおらず、自分もまた同じである。加えて実直な人柄から、率直な意見が期待できた。

「夏を迎えた、熱い国でしょうか」

 ややあって言ったフェスカは、すぐさま言葉を重ねた。

「いや、世の中の動きが、そう見えるのでしょうか。いずれにせよ、変化が楽しみな国ですよ」

 見る人が見れば事情も変わるものだと遠里は思った。帰農したばかりの頃は、誰もが変化の大きさに戸惑っていたし、そのうねりに飲まれたように息絶えた者もいた。とても楽しみに思う余裕はなかったが、地位を築いた今はゆっくり振り返ることもでき、異国からの来訪者が語る日本像に頷くこともできた。

「ドイツなどから見れば少年のようでしょう」

 約三十年前に幕府が結んだ不平等条約は未だに効力を持ち、発展のための足かせになっていると聞いている。端的な原因は国力の差だと言われ、フェスカのように異国から好待遇で教師を雇い入れるのは、条約改正に情熱を燃やす政治家たちの気持ちの表れであった。

 自虐的な遠里の言葉に、フェスカは首を振って応じた。

「確かに、今は少年のようと言っても否定はしませんが、その少年も着実に育ってきていると、私には見えます。国には国の、政治家には政治家の思惑はあるでしょうが、少年が大人となる日も近いように、思っています」

 三十余年をかけての成長としては遅いようにも思うが、あまたの人間が支える国の成長は一筋縄ではいかないものだろう。遠里は世辞のないことを信じて頷いた。

 フェスカは日本という国を夏の少年にたとえて言い、それをまかなうために生産高の底上げが必要だと説いた。それを実現するのが、講演で遠里が取り上げた抱持立犂であると言う。

「西洋式のやり方をただ導入するだけでは、実情に合わずうち捨てられるだけです。抱持立犂は古来使われてきた道具です。あとは全国へ広めれば、必ず生産高も上がります。それを成すのは実業教師でしょう」

 政府からのお墨付きを得て来日している男からの賛辞は何よりも力になるような気がした。

「それほど興味がおありなら、一度見てみますか。今度新潟へ行きますが、講演の後に私が実演もやることになっています。実業教師の都合がつかなかったので、今回は特別ですが」

「社長自らやるのですか」

「帰農してから二十年が経っています。今や社長業より農業の方が性に合うほどですよ」

 農民としての毎日は、武士として過ごした時間に迫る長さになっていた。これから先武士が復活することはないから、農民生活が武士として暮らした時間を追い抜くのは時間の問題であった。

 約束の日に遠里は新潟へ飛び、フェスカとは現地で会った。新潟の山間の村で、休耕田を使った実演である。来年以降馬耕の練習をするために開放される予定の土地で、その周囲は黒山の人だかりであった。

 狭いあぜ道には蕎麦の屋台まで出ており、主旨を忘れそうになる雰囲気さえあった。

「まるで見世物でしたね」

 その様子を見ていたフェスカは、苦笑しながら言った。

「実際に見世物だったのでしょう。娯楽が少ない土地ですから」

 時々瞽女が門付修行に訪れることがあるというが、それだけでは若者たちの好奇心を満たすには足りないのだろう。特に東へ行くほど乾田化が進んでおらず、牛馬の使い方も荷役以外にない状況である。現地の人々が思いも寄らない方法で田畑を耕してみせたのは、大いに興味を引いたはずである。

「どんな形でも関心を持ってもらうのが一番ですよ。そうでなければ始まらない」

 実業教師たちは、必要なら笑いを取ることもやるように言っている。それに反発する者もいるが、評判が良いのは相手と柔軟な関係を築ける者である。

「ねえ、フェスカさん。実業教師というものを派遣するようになって思ったのですが、蒲公英をご存知ですか」

「レーヴェンツァーン、ですね。もちろん」

「その蒲公英の綿毛が飛んでいくようだと、北九州で実業教師たちが派遣されていくのを見て思うのですよ。言うなれば実業教師は風、犂は綿毛、我らの仕事は綿毛が芽吹く土地を作ることではないかとね」

 自然の種と違って、芽吹くまで時間がかかるかもしれないが、人の手を介して育てられる芽は長い命を得るはずだ。庭の片隅にある南瓜が、未だに代を重ねているように、人の手は決して無力でも矮小でもない。

「そんなあなたの行動を批判する者もいますが、彼らに反論しようとは思わないのですか」

 横井や酒匂の言葉に反論することは容易で、そのための道具も遠里には揃っている。それでも遠里は、それらを駆使したことはない。

「自分の信じるやり方を貫くことが、既に彼らへの反論なのですよ。どちらが正しいかいずれ答えは出るでしょうし、どちらにしても後世のためになります。たとえ間違っていても、反面教師ぐらいにはなれます。どんな形でも、人に教えを残すのが教師の役目ですから」

 率直に語った思いは、フェスカの胸にも通じたようであった。何かを得心したような顔をして、私もそのために招かれているのです、と言った。

「この熱く若い国の発展のために」

 そう言って二人は、杯を付き合わせた。米から作られる透明な酒が揺れ、土から生まれた杯が短く素朴な音を立てた。

 世間の勧農社に対する要求が衰えることはなく、遠里は社長として働く間各地の講演依頼に引っ張りだこであった。それは勧農社への要求でもあり、新たな農法の希求の表れでもあった。

 最盛期となった明治十八年(一八八五年)から二十六年(一八九三年)の間に、勧農社は三十の府県に四五〇人を超える人数の実業教師を派遣した勧農社は、創立から十五年後の明治三十二年(一八九九年)に活動を終える。寒水浸や土囲法といった陰陽思想を採り入れた農法は、収量の倍増を謳っていたこともあり、失敗が相次ぐと凋落も早かった。しかしその点を除けば、福岡農法として広められた高い技術力を確立したこと、牛馬耕を広めマックス・フェスカと共に犂を掘り起こした功績はたたえられ、勧農社は世間に多大な刺激を与えてその役目を終えた。

 勧農社の廃業が正式に決まった翌日、遠里は夜も明けきらぬ時間に目が覚めた。そしていつものように出かける準備をするのだが、顔を洗っているところで自分がもはや社長ではなくなっていることに気がついた。

 社長でないのなら何になれば良いか。老い先の短い人生ながら、投げ出してはならない命題であった。

 日が昇り、登世と共に朝餉を摂る。少し体が落ち着いてから、遠里は思いついて庭に降りた。作業着に着替える時間ももどかしく感じて、遠里は内着のままで靴を履く。庭の片隅には思った通り南瓜の芽が出ていた。気温の高まりと天気の推移を長年の経験と照らし合わせて、もうすぐ芽吹くと予測していたが、それは間違っていなかった。社長を辞めたとしても、まだ農夫としては現役でいられるかもしれない。

 登世が呼び、はしたないと笑いながら咎めた。

 良いではないか、と笑い返しながら遠里は登世の元へ戻る。こんな会話を、あの南瓜が芽吹くきっかけの直前に交わしたような覚えがあった。

 南瓜が芽吹いたことを言うと、登世は勧農社の社長の面目躍如ですねと笑った。もう社長ではないと苦笑すると、周りはそう思っていませんよ、と水を湯飲みに注いだ。

「福岡農法を広めた一番の功労者なのですから。それは一生ついて回る宿命になったのですよ」

 横井や酒匂などは、目の敵にしていた勧農社がつぶれたことで目標を達したように感じているかもしれないが、彼らにとって間違ったことを教え続けた元凶は健在なのだから、何かをやろうとしたらまた抗議が来るかもしれない。そうだとしたら、彼らにとっての林遠里はいつまで経っても勧農社の社長なのだ。一農夫には最後の最後までなれない。

「老人に無理をさせないでくれ」

 言いながら遠里は笑みがこぼれた。どこまで枯れたとしても、まだ求めたり注目したりしてくれる人がいる。理由を考える前に、嬉しさとなって遠里を満たした。

「全てはあの時始まったのだな」

 登世は小首をかしげて、何のことでしょうと訊いた。

「種を何気なく捨てたあの夏に南瓜は芽吹き、安定していたはずの職を得ていた一人の士族も帰農を決意した。自然があの種を生かさなければ、もっと違った人生になっていたな」

 登世は微笑むにとどめた。安定した職を捨てて帰農した夫についていくことは苦労になっただろう。思うことはいくつもあるに違いない。しかし全てを胸にしまいこんで、脇で微笑むことを選んだのだ。そうでなければ、名声や地位を築いた夫の輝きをくすませることになるからだ。

「そうそう、少しお待ちください」

 何かを思い出したように登世は弾みをつけて立ち上がり、家の奥へ消えた。ややあって戻ってきた彼女は一枚の文を渡した。

 書かれている文字はお世辞にも上手いとは言えないが、その分懸命さが強く伝わってくる。慣れない言葉で誠実に思いを伝えようとした男の声が聞こえてくるようだった。

「以前いらした異人の方ですね」

 登世は差出人の名を見て言った。

 フェスカは五年前に帰国し、ゲッティンゲン大学の教授に就いている。お雇い外国人として日本で過ごした日々は、彼の著書日本地産論に集約されており、その功績を活かして現在も学問に生きているようだった。

 自分自身のことを伝える一方で、遠里への激励の言葉も含まれていた。犂を見つけ、深耕の必要性を知り、それを全国へ広めた人との出会いは誇りであった。これからも日本農業の発展に寄与することを期待する。海の向こうへ戻っても日本の抱持立犂を忘れずにいることで、遠里は自分の国が誇らしく思えた。

 そしてこれからも活動を続けてほしいとも書かれていた。どこか心配するようなフェスカの顔が思い浮かび、要らぬ心配だ、と呟いた。

「今度は熊本へ行くことになっている。巡回講演だ」

 登世が言うように、やはり世間は勧農社の社長として自分を見るだろう。会社がなくなったとしても、その事実がなくなることはない。

 登世は微笑み、静かに応じる。

「老け込む暇もなさそうですね」

「嬉しいか」

「とても」

 互いに素直な言葉を重ねて笑い合う。南瓜の芽が風に吹かれていた。三十年前に捨てた南瓜の種は自然の円環の中でいくつも代を重ねてきた。その壮大さは素晴らしい。されど、それは自然の力だけではない。及ばざる事ばかりを抱える人の力を添えてこそである。

 庭に吹き込む風は、土の上に映る陰影をも揺らして過ぎ去っていく。梢の葉先が触れ合う音も絶えた瞬間、妻と二人きりであるのを強く思った。やがて世間に求められる通りの仕事をする日々が始まるが、それまで続くこの寧日を堪能するのも悪くない気分であった。

 

 

 

                                                                      [了 四百字詰め原稿用紙二一二枚分]

 2015年8月作品