yuzaのブログ

幕末から明治を舞台にした小説を中心に載せています。

じゃあまたね

 誰もが僕を無表情に通り抜けていく。やがて信号が変わる。横断歩道に立ち尽くす僕に構わないで車が一斉に動き出す。やっぱり唸りを上げながら僕を通り抜けていった。

 僕の首から下を、色んな車が突き抜けていく。時々僕よりも大きなトラックなんかもあって、荷台が全部通り過ぎていくまで視界は塞がれる。ちょっと前までの僕なら、体がものすごい惨状になっていたと思う。頭なんかもう、中身が出るぐらいに。

 自分が危ないことをしているのがわかっているのに、僕は全然怖くない。そして歩道で信号が変わるのを待ってる人たちも、車に乗ってる人たちも、僕を全然避けない。

 色んなものが何度も体を突き抜けたのに、全然痛くない。

 今更こんなことをしなくたってわかっていたことだけど、僕の体はもうない。僕がここにいることに気づける人はもういない。

 信号がまた変わる。黄色の信号を見て急いで突っ込んでくる車があった。その後ろの軽も同じようにしようとしていたけど、結局間に合わなくて急ブレーキを踏んだ。後ろの大きなトラックが追突しかけた。もしぶつかったら軽はひとたまりもない。乗ってる人は僕と同じになるだろうか。

 歩道の傍に立つ信号が青になる。また交差点に人が溢れた。

 色んな格好の人たちがいて、見ただけじゃどこへ行こうとするのかわからない。

 でもブレザーはどこへ行くのかわかる。僕も少し前まで着ていた服だから。

 胸ポケットに校章が刺繍された紺色の上着を着ている男女は、ある程度まとまって歩いている。その中には顔見知りがたくさんいた。

 かわいい顔をしていると思った柴田さん、何でもできる人気者だった倉本くん、気が強くてよく男子と喧嘩をしていた西尾さん、とにかく明るくてひょうきんだった東野くん。他にも知っている人たちがたくさんいる。話してみたいと思った人たちがたくさんいる。

 だけど学校に通っている間、僕にはその勇気がなかった。

 どんな反応をされるかわからなくて怖かったけど、今ならその心配は要らない。だって僕のことが見えてないんだ。たとえ嫌がられたとしても、反応のしようがない。

 いつの間にか柴田さんが目の前にいた。日射しを受けて光るぐらいの黒髪を長く伸ばしている。いい手触りをしてそうだった。学校だとよく喋る社交的な人だけど、今は一人で歩いている。学校で見慣れた笑顔が嘘みたいに堅い表情をしていた。

 僕は柴田さんの前に立って、口を開いた。

 おはよう、とか、元気? とか、挨拶の言葉なんていくらでもある。

 いくらでもある、のに。

 僕は口を開いたまま、何も言えなくて、立ち尽くした。

 その間に柴田さんは周りの人たちと同じように僕を通り抜けていった。

 背中はまだ見えている。返事なんてなくても、声をかけるぐらい迷惑でも何でもないじゃないか。

 言い訳めいたことを自分に言い聞かせて奮い立たせようとしたけれど、結局柴田さんは人混みの中に消えていった。

 またできなかった。どうして僕は、他の人に話しかけようとすると怖くなるんだろう。

 僕はついに誰も答えてくれなかった問いを胸に、雑踏へ紛れた。

 高校生たちは賑やかな駅前をほとんどひとかたまりになって、学校を目指した。そっちの方に会社とか工場はないから、朝はいつもブレザーの行列だ。

 もう柴田さんとか倉本くんとかは見えない。隣にいるのは見知らぬ男子生徒だ。

 途中で短い横断歩道があって、生活指導の島田先生が向こう側に立っている。僕は赤信号に構わず歩いて対岸へたどり着いた。

 直後に信号は変わって、みんなが歩き出す。みんな島田先生に挨拶しながら右へ行くけど、僕は左に行った。

 ちょっと歩くと横断歩道がある。こっちに信号はない。

 電柱の根本に何本か花が供えられている。それから開けられていないスポーツドリンク

 高校生の飲み物だからと選んだんだろうけど、僕のことを知っている人ならお茶を置いたはずだ。だけど一度もそれを見たことがない。僕のことをちょっとでも知ってる人は、まだお参りに来てくれてないってことだろう。

 僕はガードレールに腰をかけた。意識したらものに触れることもできるみたい。体がなくなってこの世ならざるものになってもやっぱり疲れる。僕は生前、学校へ行く以外に体を動かしたりスポーツをやったりしなかったから、そのツケが回ってきたんだろう。ちょっと疲れちゃった。

 ガードレールに座って高校生の流れを見ていたけど、それもやがて終わる。時間は八時頃だろう。それまでにこの交差点を通り過ぎていないと、走らない限り始業に間に合わない。

 島田先生も引き上げた。誰も通らなくなって、昼間なのにしんとする。

 僕は体を屈めた。名前と顔以外に知らない人たちでも、いなくなったら寂しくなる。音がなくなったのが怖くなる。

 ここで一人、何をするでもなく時間が経つのを待つんだ。何もすることがないからそうするしかないんだけど、どうしてそうしなきゃいけないのか。そこまではわからない。

 僕はここで車にはねられて死んだ。あの時近くのコンビニにお菓子を買いに行こうと思ったんだ。一人でいるとつまらないし、小腹が空く。お金はあったから迷わなかった。

 あの時は気がはやった。漫画が面白かったから、続きを早く読みたかったんだ。いつも左右を確認してから渡るのに、あの時はそうしなかった。

 周りを見なかったのは、後にも先にもあの時だけだ。その一回が、僕の人生を終わりにした。

 覚えているのは、タイヤがアスファルトをこする音と、小中高と体育で2以上を取ったことがない僕には一生かかっても見られなかったはずの、高い景色。僕はその後アスファルトに叩きつけられたはずだけど、痛くなかった。そして気がついたら僕はここに立っていた。

 夢を見ていたのかなって思ったけど、すぐに違うのがわかった。みんな僕を通り抜けていくし、車にいくら当たっても痛くなかった。そのうち事故の現場には花とジュースが置かれて、目撃者を捜す看板まで立てられた。十六歳少年が死亡したなんてことも書かれてた。それでやっと、僕は自分が轢き逃げされたんだってわかった。

 看板はすぐに外されたから、犯人はもう捕まったみたい。だからといって嬉しいとかザマァとか思わないのが、僕の変なところかも。

 僕は無念だった?

 僕は十六年で人生を終えた。お酒を飲んだこともないし、女の子のことも全然知らない。それを知るチャンスはもうない。それなのに別にいいやなんて思ってる。

 先生とか周りの大人が言うことは決まってる。さぞかし無念だったろう、なんて。

 普通ならそんなふうに思うんだろうけど、僕は違う。死にたいほどの目に遭ったわけじゃないけど、生き続けたいと思わなくなってた。だから別に無念じゃない。

 ただ、何のために義務教育を終えて、勉強してまで高校に入って、事故に遭うまで生きてきたのか、僕はわからなくなってたんだ。その時間が終わった今は、何でこの世界にいるのかわからない。少なくとも人間が死んだら天国か地獄かに行くっていうのは嘘なんだ。

 どうして僕はこの世界にいるんだろう。生きている間に出なかった問いの答えが、死んでもまだ出せない。

 僕は体を丸めて目線を落とした。生きてる間は一人が好きとか寂しさなんて感じないとか、うそぶいたこともある。だけどそれは、いつか一人でなくなるかもしれないって、希望を信じられたから言えたことなんだ。

 今の僕は誰と関わることもできない。今まで信じてきた希望が、完全に叩きつぶされているんだ。

 僕は、一人が嫌だ。寂しさをとても強く感じてる。それが本音だ。

 それを聞いてくれる人もいないけど。

 いつまでこうしていたらいいんだろう。誰かに聞いてほしい僕の気持ちは、自分でも数え切れないほどある。聞いてくれる人がいたら歯止めが利かなくなると思う。

 だけど叶わないんだ。僕は思うことに疲れてため息をついた。

「俺が花を供えたらいけないか」

 ちょっと呆れた感じの、妙に軽い響きの声がした。

 自分に向けられた声なんだろう。周りに人はいない。

 まさか人に話しかけられるとは思っていなかった僕は、電柱の前にしゃがみ込んでいる人を呆然と見下ろした。

「花供えちゃいけねえのかって訊いてんだけど」

 少し乱暴な言葉遣いだけど、怖い感じはしなかった。人懐っこい笑顔を見せてるからだろう。

その人は僕とあんまり変わらない年頃の男の子で、ジャケットとキャップを着けて活発そうな見た目をしている。僕とファッションセンスがかなり違う。僕が着るには派手すぎて気後れしそうだった。

「よお、俺の声聞こえてる?」

 ぼんやりその男の子を見ていた僕は、ラッパーみたいな呼びかけでやっと我に返った。でも言葉を探しあぐねて、別にいいけど、と何とか口にする。

「そうかい。じゃ、続けるからな」

何だか戸惑った感じの声しか出せなくて嫌だったけど、男の子は気にした様子もなく一輪の花を供えた。

「じゃあな」

 しばらく両手を組んで目を閉じていた男の子は、ぱっと顔を上げて立ち上がると、最初の人懐っこい笑顔を見せて立ち去ろうとした。

 僕は男の子を追った。手が伸びたけど肩をうまく掴めなかったから声を上げた。

「待って」

 短いけどはっきり出せたような気がする。

 振り向いた男の子はやっぱり笑っていた。

「何だよ」

「そうじゃなくて、その」

 いくつも訊きたいことがあって、それがうまくまとまらない。だからいつもうまく他人と話せなくて、死んだ後も直ってない。

「何でもないなら行くぜ」

 ちょっと表情を陰らせた男の子が踵を返そうとする。

 僕は必死で声を上げた。

「どうして!」

 きっと生まれて初めてだったと思う。こんなに大きな声を、それも他人に向けて上げたのは。

 男の子は足を止めていた。何だか怪訝そうな顔をしている。

 きっと僕を変に思ってる。何でもないって言って、会話を終わりにしたい。そうすれば恥ずかしさとか劣等感とか、色んなものから逃げられる。

 その時は男の子も一緒に逃げてしまう。誰にも声を聞かせられない僕が、初めて喋った人が。

「僕とどうして喋れるの?」

 そんなことを訊くのに、深くは悩まなかったけど、一番訊きたいことだった気がする。

 そんなに離れてなかったけど、男の子は近づいてきた。

「そりゃ、お前が見えて声も聞こえるからだよ」

「じゃあ、どうして花を持ってきてくれたの」

「寂しそうにしてる幽霊はほっとけないだろ」

 男の子は事もなげに言った。寂しそうっていうことは、イコール友達がいないってことだから、そういうオーラが出ないように気をつけてたつもりだ。それを見破られたってことがちょっとショックだけど。

 それよりも僕を見てくれていたことが嬉しかった。ほっとけないから人が喜ぶようなことをしてくれる。そんな人がいるなんて思いもしなかった。

「そういう仕事なの」

 僕の頭に思い描かれたのは、死ぬ直前まで読んでた漫画だった。

 男の子は苦笑した。

「アニメじゃねえんだから。偶々幽霊を見て会話できる力があって、気が向いた時に使ってるだけなんだから、あんまり深く訊くなよ。俺自身は適当に生きてるだけのフリーターなんだから」

 僕は男の子の格好を見直して、納得した。もう九時を回ってるはずで、普通の学校なら授業が始まってる。見た目通りの歳なら学校に行ってるのが普通だ。

「悪いな、そろそろバイトなんだ」

 そう言って男の子は背を向けた。僕はそれ以上引き留める気にはならなかった。

 だけど言いたいことが一つ浮かんだ。

「またね!」

 また驚くぐらい大きな声が出た。

 男の子は手を挙げ、手のひらをひらひら振った。

 

 地縛霊とか浮遊霊とか、誰が考え出したんだか知らないけど、僕みたいな幽霊を指す言葉はいくつかある。僕が死ぬ直前まで読んでた漫画には何度も出てきた言葉だ。

 漫画の設定に従うなら、僕は浮遊霊と呼ばれるんだろう。地縛霊は死んだ場所から動けない幽霊を指すそうだから、自由に動き回れる僕は違う。

 だけどここ最近、僕は地縛霊になった。高校生が登下校する時でなければ誰も通らないような道に、朝も昼も夜も、ずっといる。

 僕は待ってる。あの男の子がまた花を供えに来てくれるのを。

 幽霊になってから初めて出会えた、僕の言葉が通じる人を。

 その間雨が降ったり強風が吹いたりして、花は容赦なく散らされた。

 花を供える人もなく、僕の事故現場は寂れていく。

 僕は待った。でも希望を信じられなくなってくる。

 ちゃんと約束したわけじゃない。来なくたって僕に責める権利なんかない。

 だけど、寂しい。何か怒りたくなる。

 僕は身勝手だ。相手の立場になったらすごく嫌な人間に見えてくるだろう。

 感情的になった時のことを思うと怖くなる。相手を怒らせるか、拒まれるか。それを見なくて済むなら、いっそ会わない方がいい。

 だけど会いたい気持ちはどうしても消えない。風で飛ばされた花が車に踏まれるのを見たのをきっかけに、僕は立った。

 最初に駅前の交差点に向かった。あの男の子のことなんて何も知らないけど、来ないならこっちから会いにいくしかない。趣味は何? どうしてあんな派手な格好ができるの? バイトは何をしてるの? 他の幽霊を知ってるの? 今までどうやって生きてきたの? 探し求めるうちに訊きたいことが言葉になって、溢れそうになる。

 だけど高校の最寄り駅はそれなりに大きな駅で、別の路線も乗り入れてる。乗降客も多い。派手な格好の男の子はたくさんいる。

だけど探すしか会う方法はない。会って話すことができたらって思い描いてる。

 何日か歩き回って探した。僕自身の足で回れるところなんてたかが知れてるけど、フリーターと言ってたからコンビニでレジを打ってるかもしれない(バイトっていうとそれしか知らないんだ)。駅の周りのコンビニをしらみつぶしに探して、時には事務室まで入っていった。そこで店員らしい二人(男と男)が抱き合ってるところに出くわした時はびっくりした。ああいうことをする人たちが本当にいるんだって。

 だんだん大胆になってきて、事務室やフリーザーの裏側にも平気で入れるようになったけど、結局見つけられなかった。

 何日も同じことを続けるのは疲れる。幽霊が疲れるって何か間違ってる気がするけど。

 心も疲れてる。会いたい人に会えないってことがこんなに疲れるなんて知らなかった。

 もう二週間ぐらいコンビニを探し回ったと思うけど思うような成果が出ないから、ちょっと休もうと思った夜のことだった。

 枯れた花が惨めな姿をさらしてる事故現場に戻ってみた時、前を走り去る影があった。

 その横顔が、あの男の子によく似てた。

 ただ急いでるだけには見えなかった。やばいなって気持ちが読み取れるような顔だった。

 ちょっと遅れて何人か走り去る。その時の横顔は怖かった。明らかに怒っていて、睨まれたら間違いなくお金を渡して逃げちゃうと思う。

 あの男の子を追ってるんじゃないか。そう思った時僕は彼らの後を追いかけた。

 足の速さじゃかなわない。だけど僕は誰にも気づかれず壁や建物をすり抜けられる。コンビニの事務室やフリーザーの裏側にもそうやって入ったんだ。

 彼らが走り去った方向へ直進していくうちに、僕は男の子を見つけた。後ろを振り向いた時、目が合った。

「悪い、話をしてる場合じゃねえんだ」

 そう言って男の子は走り続けた。やっぱり危ないことに巻き込まれてるんだ。

 そこは路地だった。この辺に土地勘があるみたいだけど、相手も同じみたいで、ほとんど迷わず突き進んできた。

 ゴミ捨て場もある。きっとマナー違反なんだろうけど、資源ゴミが置いてある。

 僕はその中の一つ、ビールの空き瓶を掴んで叩き割った。

 砕け散った瓶の様をそのまま表すように甲高い音が響き渡る。三人組が急に足を止める。さっきまでの怒りの表情が消えて、怯えた顔に固まってる。

 僕は気分が良くなってもう一回同じことをした。今度は短い悲鳴まで引き出せた。

 鋭い凶器と化した瓶を両手で振りかざして、ゆっくり歩み寄る。僕の姿は見えないから、凶器が浮いて近寄ってくるように見えるはずだ。

 相手は怖がってるけど、逃げてくれない。真ん中の一人はドスの利いた声で喚いてる。

 僕は瓶を叩きつけた。けがをさせるつもりはないから離れたところに投げつけたつもりだけど、足元へ飛んでしまった。

 三人組は揃って足と腕を上げ、顔と体を庇った。その後顔を見合わせて、逃げ去った。

 僕は大きく息をつき、そして座り込んだ。情けないけど腰が抜けた。喧嘩もしたことがなかった。争いが嫌いだから、優しいから。そういうふうに小学校の通信簿に書かれたことがある。それはとても聞こえがよくて僕の長所だって思ってた。

 そんな僕が、手出しされないってわかってたとはいえ、争った。暴力的なことをした。ずっと会いたかった、名前も知らない男の子のために。死んだ後で自分のこんな力に気づくなんて、ちょっと惜しいな。

「そうだ」

 あの男の子はどうなっただろう。ずっとまっすぐ走っていったみたいだけど。

 ここまで来たら逃がしたくない。会いたい。会って話がしたい。ずっと避けてきたことをしてまで助けた人のことを知りたい。

 僕は男の子が走った方へ走り出した。壁も建物も構わず突き抜ける。家とか店の中で知らない人たちがやってる色んなことを覗くことになったのを済まなく思いながら、僕は走った。真っ直ぐ進むだけで会えるとも思えなかったけど、下手に道を替えるときりがない。

 どうやら僕の考えは功を奏したようだ。ちょっと諦めかけた時、暗い道を歩いてる彼を見つけた。

「さっき瓶の割れる音がしたけど、お前か?」

 上目遣いで用心深く訊いてくる。どう答えたらいいだろうって思いを巡らせるけど、嘘をついても仕方ない。僕はありのままを話した。

 すると悪いなあ、と音を立てて両手を合わせた。

「俺の事情に巻き込んだみたいじゃねえか。ホントごめん」

「でも僕、見えてなかったみたいだから。心配ないと思うよ」

「それもそうか。ありがとな、助かったよ」

 男の子はぱっと表情を変えた。さっきまで気になる表情をしていたと思えば、今は無警戒に笑ってる。こんなにくるくる表情の変わる人と話したことは今までなかった。

「一体何があったの。とても普通じゃなかったけど」

「肩がぶつかったからってインネンつけられてさ、俺もわりかしキレやすい方だからつい手が出ちゃってさ。やばいと思って逃げてたらお前に助けられたってわけ」

 あまり深刻に捉えてないみたいに、彼はずっと笑顔だった。繰り返すけど僕はああいう人たちに睨まれたらお金ぐらいすぐに差し出すと思う。そういう目に遭ったことはないけど、もしもあったらとても笑い話にできない。

 僕とは全然違う人種。だけどどうしてだろう、僕は劣等感も恐怖感も抱かずに話せてる。

「でも何で俺を助けてくれたわけ? 見返りがあるように見えるか?」

 彼は両手を広げて言った。派手な格好は相変わらずだけどあまり高そうには見えない。

「僕が知ってる人を助けたらいけない?」

 言った瞬間何か覚えがあるような気がした。同じようなことを誰かが言った気がする。

 彼は小さく声を上げて笑った。

「そうだったな。いけないことなんてないよな」

 彼が笑い出した理由はわからないけど、無邪気な顔には自然と笑い返すことができた。

「まあとにかく、お前に助けられたよ。ありがとうよ。ひ弱に見えるけど結構お前勇気あるな」

 そう言って彼は頭を下げた。情けないけど僕は応じ方がわからなかった。誰かに感謝されることなんて、昔はあったのかもしれないけど記憶がないし、高校に入ってからは皆無だった。

 まして勇気があるなんて。生きている頃は色んなことを避けてきたから、無縁の言葉だった。

「幽霊だからできたんだよ」

 それは本当だと思う。幽霊だから手出しされる心配はない。そうでなかったら、瓶を叩き割って恐そうな人たちに迫るなんてできなかったはずだ。

「まあ何だっていいけどな。お前が一度会ったばかりの奴のために助けたっていうのは本当のことなんだから、謙遜するなよ」

 彼は僕の肩を叩こうとしたけどすり抜けてしまって転びそうになった。ばつが悪そうに笑う。どうやら彼は、僕のことを見たり喋ったりはできるけど、触れることまではできないらしい。

 どこかで唸るようなエンジン音が聞こえた。彼との話に引き込まれていた僕ははっとなった。

「じゃあな。久しぶりにタメと話せて嬉しかったぜ」

 音に目を向けている間に彼は踵を返していた。僕はその背を追った。引き留めたいと強く願った。

 すると彼の手首を掴むことができた。

「待って。まだ名前を訊いてない」

 いずれ会えなくなる日が来ても、名前さえ知っていればより鮮明に記憶を思い出せる気がした。

 彼はちょっと驚いた顔をしていた。驚いたというより、予想外って感じの顔だろうか。変なこと訊く奴だなって顔で語ってる気がした。

「僕は知りたいから。僕は友紀。君は?」

 それは初めて自分の意思でした自己紹介だった。新しい学校やクラスになる度に繰り返された自己紹介は、先生の号令でやらされた通過儀礼に過ぎない。僕は僕の意思で、誰かに僕の名前を知ってもらって、更に深いところまで知ってほしいと思ったことはない。

 彼はまだ表情を変えてなかった。ひょっとして白けてるんじゃないか。ちょっと恐くなったけど、彼は笑ってくれた。

「幽霊って奴は寂しがり屋が多いな。いくら自分のことが見えるからって、見ず知らずの奴のことを知りたがるなんてな」

「今は君しか僕と話せないから」

「わかってるよ。恩を司るって書いて恩司郎だ。そのうちまた花を供えに行ってやるから待ってろよ」

 この前よりもはっきりと聞かされた言葉に、僕は彼のことを信じて待ってみようと思った。もうしらみつぶしにコンビニを探さないようにしよう。

 ああ、彼じゃない。恩司郎っていうんだ。

 他人にやれと言われてやった自己紹介じゃなく、僕が心から望んで名を名乗って、返答として受け取った名前。どんな贈り物よりもきれいで温かい。

 次に会ったらその名を呼べるだろうか。僕の名を呼んでくれるだろうか。

 僕は初めて人と会うのが楽しみになった。

 

 はっきり待ち合わせ場所を決めたわけじゃなかったけど、僕は恩司郎と初めて会った事故現場で待つことにした。二人が知っている場所は他にない。

 正直僕は心配だった。この前も会おうと言ってなかなか来なくて、僕は街を探し歩いた。

 あの時はちゃんと約束したわけじゃない。でも今度は花を供えに来ると言った。恩司郎が見た目通り無邪気で明るい人ならいいけど、屈折した人だったら来ないかもしれない。そんな気持ちにとらわれるとまた街を探し回りたくなる。この前みたいな偶然を信じて、僕の方から会いに行きたくなる。

 だけど今信じるべきなのは偶然なんかじゃなくて、恩司郎の言葉だろう。恩司郎は来る。花を供えにやって来る。その時僕が、彼を信じ切れずに街を探し回っていたらすれ違うことになる。

 恩司郎は来る。そう信じ続けて、やっと来た。四日が経った日の夜だった。

 初めて会った時のように、花を供えて無邪気な笑顔を見せてくれた。

「来てくれたんだ」

 信じていたはずなのに、心のどこかに来ないんじゃないかって疑いがあった。それが口に出ちゃったのが恥ずかしい。

「まあな。嘘も気休めも言わないことにしてる」

 恩司郎は別に気にした様子もない。細かいことにこだわらない性質ならありがたい。人付き合いにおいて色々なものが足りない僕は、他人に対して失礼なことをするかもしれない。死ぬまでそれを怖がっていたから、この献花台に見知った人が来なかったのかな。

「顔が暗いぞ。せっかく来てやったのにつまんなそうな顔するなよ」

「ごめん、思い出すことが色々あって」

「幽霊も悩むんだな」

「知らなかったの?」

「別に幽霊の研究をするほどマメじゃねえよ。仕事でもボランティアでもないし」

「じゃあどうして」

「ほっとけないから……って、この話前にもしただろ」

 恩司郎はぱっと笑い顔になった。

 そう言えば最初に会った時もこんなことを話した気がする。僕が寂しそうにしているからほうっておけないと言って花を供えに来た恩司郎が、嬉しいと同時に不思議な人にも見えた。そして何を考えているんだろうって、疑う気持ちもあった。でもきっと、恩司郎のことは信じられる。ただ僕に寄り添うつもりで来たんだ。

 色々訊いてみたいことは他にもあったけど、不意に恩司郎が歩き出した。

「どうしたの」

 恩司郎は後ろを見ろと言った。

 献花台の前を何人かの人影が固まって歩き去っていく。

「一人で喋ってるところを見られて平気なほど、俺は図太くねえよ」

 恩司郎と普通に喋っているとつい忘れてしまう。僕は他の人には見えないってことを。

「あっちにいいものが見られる場所があるんだ。この前のお礼に見せてやるよ」

 恩司郎が指したのは、僕が全然行ったことのない方向だった。

 市名の表示板の下をくぐり抜けて歩き続けると、やがてそびえ立つ土手が見えた。その向こうに何があるのかって想像したくなるような高さで、一度見たら忘れないような印象深さだったけど、見覚えはないから今まで見たことはないんだろう。ずっと同じ街で生きてきて、まだ知らない場所があったのは驚きだった。

 その高いものが土手だと見えたのなら、その向こうには川が広がっている。それはある程度予測できたけれど、街灯とかはここまで届かないみたい。月明かりがないせいで、土手の上に立つとそこで足がすくむぐらい真っ暗な景色が見えた。

 これ以上僕は死にようがないからいいけど、そうでなかったらとても前に進む気にはなれない。恩司郎が心配になったけど、彼は構わずに歩き出した。

「来いよ。川辺は結構広いぜ」

 恩司郎は怖がる様子もなく降りていった。

 僕も彼を追う。芝生の感触がずっとある。

 やがて恩司郎は足を止めた。そこで不意に腰を下ろし、仰向けになった。

 僕は恩司郎が何をしたいのかすぐにわかった。

「こんな場所があったんだね」

 僕は感嘆した。僕の街はそれほど田舎ってわけじゃないと思ってたけど、光っていうのはそんなに遠くまで届くものじゃないらしい。ちょっと歩いただけでこんなに暗い空が見えて、それなりに星が見える場所があるなんて思わなかった。

「山の中ほどじゃないだろうけど、街の中ならそれなりだろ」

 僕は恩司郎の傍で腰を下ろした。恩司郎の言葉が僕の記憶を呼び出す。小学校の頃に学校のキャンプで山に行ったことがあって、たいして仲良くもないクラスメイトと一緒に過ごした時間は面白くも何でもなかったけど、あの星空だけは見て良かったと思う。

 あの時の、無造作にばらまかれた銀色の砂で描かれたみたいな星空が、僕の目にはまだ焼き付いている。

 あれと比べて、目の前にある空の星は少ないし、輝きもやたらと強い気がする。だけどそのままじゃどうしたって一人でいるしかなかった僕が、望んで一緒にいたいと願った人がいる。あの星空にはきれいさで劣るとしても、思い出の質は負けないと思った。

「生きてる間に来てみたかったな」

 今感じている幸せは本物だろう。だけど生きている人たちとは違ってしまった今、彼らと思い出を作ることはできない。恩司郎という、幽霊と語らえる人と出会えなかったら、僕はこの場所を知ることなくずっと彷徨っていた。そう思うと恐い。

「お前何で死んだわけ?」

 不意に恩司郎が訊いた。

「交通事故だけど。看板もあったし、知らなかったの?」

「そうじゃなくて、わざと車道に飛び込んだわけじゃねえよなって訊いてんだよ」

「自殺ってこと? 違うよ、いくら僕でもそこまでしない」

「する一歩手前だったみたいな言い方だな。イジメでもあったのか」

 恩司郎の声は明るかったけど、明るすぎて茶化すような聞こえ方もした。

「別にイジメられてたわけじゃないよ。僕だってそんなに情けなくない」

 僕はちょっと突き放すように答えた。イジメがあったわけじゃない。ただ僕も周りも、お互いにどう接していいのかわからなかったんだろう。だからクラスで浮いている感じがしただけだ。

 だけど死んだ後で、みんなの気持ちはもっと違うものだと思うようになった。単に接し方がわからなかっただけじゃなく、みんなにとっての僕はどうでもいい人だったんだろう。最初の頃は献花台に誰かが来るだろうかって待ってたけど、誰も来ないから、交差点にさまよい出た。

 見知った顔はいくつもあった。みんな僕が生きている間と同じ顔をしていた。僕がみんなの心に占める割合は、本当に小さなものだったんだろう。

「君は毎日何をしてるの」

 何だか嫌なことばかりが浮かんで、僕は話題を変えた。恩司郎のことも知っておきたかった。

「俺? フリーター。ガソリンスタンドと引っ越し屋でバイト掛け持ちしてる」

「高校は? 僕と同じくらいでしょ」

「ああ、辞めちまった」

 恩司郎は笑い声さえ混ぜて答えた。余りに声が軽いから、何か訊き方を間違えたかと思ったぐらいだ。

「高校、行ってないの?」

 重ねて訊いたけど、恩司郎の答えは変わらない。

「辞めちまったよ。俺サッカーのスポーツ推薦で入ったんだけど、顧問と揉めて居づらくなってさ。サッカーができないなら高校行ってたってしょうがねえなって。どうせ底辺校だし」

「いいの、そんなに簡単に。将来とか不安にならないの」

「今はならねえな。高校行ってたって寝るために時々授業出て、後はサボるしかしなかったと思うんだよな。それに比べたら、バイトで生計立ててる方がよっぽど生産的だね。どうせノート開いて勉強するなら、金に直結することを勉強するさ」

 投げ遣りになってるようには聞こえなかった。今の暮らしを少しでも良い方へ導こうとして努力している。そんな明るくて爽やかな声だった。

 僕とは根本が違う人間だろう。僕は高校に入ってもまだ学校が嫌だった。中学までは義務教育だったから行かなくちゃならなかったけど、高校には行っても行かなくても良かった。結局行くことにしたのは、親を含めた周りの人間に中卒や高校中退がいなかったからだ。

 十六年しか生きなかった僕でも、高校を出てない人間に風当たりが強いことぐらいわかる。だけど恩司郎みたいに明るく生きてる人を見ると、学歴にそれほど大きな意味なんてないんじゃないかって思えてくる。

 本当はどうなんだろう。誰かに教えて欲しい。誰か大人に。もう叶わないけれど。

「お前は毎日、何をしてたんだ」

 僕は口ごもった。僕が送ってきた生活なんて、つまらないのを通り越して恥ずかしいぐらいだから。

「普通に高校行ってたよ」

 あまり僕のことに踏み込まれないように言葉を選び、短く言った。

「そうじゃない、死んだ後だよ。あんまり恵まれた生活してなかったのは、あのため息を見たらわかるよ」

 隠そうとしていたことにあっさり踏み込まれたけど、隠すのが無駄とわかったらかえって気が楽になった。

「ため息って、最初に会った時の?」

「一人でいるのに疲れたみたいな感じだったからな。花を供えに来るのが知らない奴ばかりだったから嫌だったんだろ」

 ほとんど完璧に胸の内を言い当てられ、僕は頷くしかなかった。

「あんまり友達いなかったからね」

「そりゃ話してればわかるよ。人と話すの下手そうだし、別に不思議でも何でもねえよ」

「そうなんだけど、でもどうしてか君とは話せる」

「そりゃ不思議だな。一回死んで度胸がついたんじゃねえ?」

 適当な感じの返事だったけど、僕は妙に納得して笑えた。

 そして間違ってない気もする。少なくとも生前の僕なら、ビール瓶を叩き割って見ず知らずの人を脅すなんて考えられなかった。

「どういう理由でもいいけど、僕は君と話せるのがとても嬉しいよ」

「俺は別に」

「仕事でもボランティアでもないって言うんだろう。それでいいよ。責任とかを感じないで、だからこそ信じられる人を友達って呼んでもいいのかな」

 恩司郎は答えなかった。星空をじっと見つめている。

 僕もそれに倣った。思えばいつも下ばかりを見ていた気がする。足元に見えたのは土とかアスファルトみたいな、見ているだけで喉の渇きを覚えるような色ばかりで、覚えていたくなるようなものは一つもなかった。ほんの少し歩いたら、あの山の中で見た星空に近いものが見えるなんて思いもしなかった。

 恩司郎の言葉を、僕は待った。どんな答えでもいいと思う。短い時間だし、他人から見たら同じ年頃の男の子二人が星空の下で語らっているだけの、取るに足らない出来事なんだろう。だけどそこに至るまで、僕は偶然知り合った恩司郎を探し回って、生きている間はついに発揮できなかった力に気づいて、この瞬間にたどり着いた。僕は恩司郎によって孤独な時間から救い出された。

 僕は確かに幸せだった。

「いいんじゃね?」

 恩司郎の顔は見えなかった。だけど自然な声で、僕は満足した。

「ありがとう」

 僕も自然に言葉を返した。

 

 僕と恩司郎はその後も何度か会った。周りから姿の見えない僕と喋っているのを見られたくないと言って、昼間でもあまり人が来ないところへ連れ出したりしたけど、それは僕の知らない場所ばかりだった。僕はこもりがちな性格だったから。

 恩司郎と会って話ができる時間は楽しくて嬉しい。だけど、どうしようもないことだけど、僕と恩司郎は同じようには過ごせない。恩司郎は生きていて、僕は一度死んでいるから。

生きている間に恩司郎と会えたら良かったのに。関係が深まるごとにそんな思いが強くなっていった。

生きている間にもっと会えたらっていう気持ちが強くなった人はもう一人いる。僕のお父さんだ

僕が中学校を卒業する頃から単身赴任で遠くに行ったきり、ほとんど帰ってきていない。お母さんはずっと前に家を出て、記憶がなくなるぐらい会ってない。僕の事故はそんなに大きく扱われたわけじゃないから、もしかしたら死んだことさえ知らないのかもしれない。

お父さんとはあんまり話をした記憶がない。お母さんがいなくなって生まれた、父と息子二人きりの空間で、お互いにどうしたらいいかわからなかったんだと思う。今にして思えば距離を縮める努力から始めたら良かったって後悔もあるけど、それをする前にお父さんは遠くに行って数えるほどしか会えなくなったし、僕も死んだ。高校から報せぐらいは行ってると思うけど、まだ来たところを見てない。

仕事が忙しいんだろうか。それだったらまだいい。僕やお父さんに問題があるわけじゃない。だけどそうじゃないとしたら。本当は帰ろうと思えば帰れるのに、献花台にまで来るのを避けていたら。

「さあな。俺はお前のおやじのこと知らないし」

 人通りの絶えた時間に胸の内を語った後、恩司郎は至極もっともなことを言った。悩み事に対する返答としては最低だけど、恩司郎らしくていいと思う。僕が知った恩司郎は嘘とか気休めとかを言わない。

「でも普通は手が空いたら来るだろ。親といて嬉しかった記憶が、生まれてこの方一度もないっていうなら別だけど」

 恩司郎の言葉はよく僕の古い記憶を呼び起こす。そうやって表れた記憶はお父さんとボールを蹴っている姿だった。傍らにはお母さんがいる。何だか芝生の上でそんなことをしていた気がする。

 家に帰るとお母さんがいることがほとんどだったけど、時々お父さんがいる時がある。その時ちょっと嬉しくなって笑った。何に喜んだのか今もわからないけど、僕はあの時お父さんがいて良かったと思った。そんな記憶が確かにある。

「来てくれるかな」

「見ず知らずの連中でさえ来てるんだ。親なら来るだろ」

 僕は恩司郎の言葉を深くは追及しないことにした。どんな意図があっても、大事なことはお父さんが献花台に花を供えにくるかどうかだから。

 不意に目眩がした。ガードレールから滑り落ちそうになる。

「眠いのか」

 僕は首を振った。

「最近よく目眩がするんだ。幽霊も疲れたりするみたいだけど」

 恩司郎は幽霊のことについて深く知ってるわけじゃないから、答えは期待しない。だから返事が明確だったのは意外だったし、その内容にも驚かされた。

「ああ、そりゃ生まれ変わりが近いせいだろ」

 僕は言葉を失った。生まれ変わりって、どういうことなの。訊こうとして言葉が出てこない。

 恩司郎はそれ以上語らなかったけど、突然示された言葉が気になって、僕は突っ込んだ。

「どうしてそんなことわかるの」

「何度か幽霊と話をしたことあるけど、消える前にみんな目眩がするって言うんだよ。そのうち俺の前から消える。お前にもその時が来たってことだろ」

 恩司郎はあくまであっけらかんとしたものだけど、僕はまた何も言えなくなる。消えるってことは、何か思い出したり話したりできなくなるってこと。だとしたら、嫌だ。

「止められないの?」

 恩司郎に訊いても仕方ないと思いながら僕は言った。案の定彼は知らねえ、と言った。

「俺は霊界案内人でもなけりゃ、怨みの門の番人でもないからな。そもそも何でお前が幽霊になったのかも知らない」

「死んだらみんながそうなるんじゃないの?」

「だったらもっと幽霊がたくさんいるだろ」

 確かに幽霊として自覚が出てから、一度も同じ幽霊と出会ったことはない。だからこそ僕は孤独を感じたんだけど。

「だったら何で生まれ変わりがあるなんてわかるの」

 恩司郎は人間が死んだ後のことについてほとんど知らない。それなのに生まれ変わりについては断言してる。ちょっと変だった。

「何でとか訊かれると困るけどよ、俺にはわかるんだ。相手は覚えてないんだろうけど、俺にはわかる。前に話をした奴が生まれ変わって別の命になってるってことが。人間になるとは限らないみたいだけど」

「輪廻転生ってやつ?」

「さあね。そういうのがあるとしても、システムみたいなものも俺にはわからない。だけど一つだけ言えることがある」

 恩司郎は急に真剣な顔をした。僕も同じように表情を改めて向き合う。

「お前が俺を忘れても、俺はお前を忘れない。友紀っていう幽霊と星の下で話したことを忘れはしない」

 恩司郎と出会った後、一番強く覚えていることを、恩司郎が忘れないと言ってくれた。僕はそれだけで、幽霊として現世に留まった意味があると思えた。

「ありがとう」

 もう誰かに言えないかもしれない言葉が、目元が熱くなるのと一緒にこぼれ出た。

 

 日を追うごとに僕の目眩は間隔が短くなった。

 特に苦痛はないし、目眩が起きる時間も短い。だけどこれが、自分が消えてしまうカウントダウンみたいなものだと思うと恐い。

 僕はずっと献花台から動いていない。雨が降った日もあるし、風が強い日もある。だけど動かずにいた。もしも動いてしまって、その瞬間にお父さんが来たら、もう会うことは二度と叶わないと思ったからだ。

 お父さん。僕はその人に来てくれたらって、最初から思ってたわけじゃない。最初に来て欲しかったのは、もしかしたら僕のことを好きでいたかもしれないクラスメイトで、誰か一人でも来ればあの教室にいる意味もあったって思えたはずだ。

 だから代わりのようにお父さんを求めるような気がしたけど、再会まで時間がないってわかると会いたくなった。僕にはそういう身勝手なところがあるみたい。だから友達もできないまま死んでいく羽目になったんだろうけど。

 お父さんが来たって僕には何もできない。ここで何かするだろうけど、それを見つめるしかできない。恩司郎みたいに幽霊を見ることができて話ができる人はとても希だ。

 恩司郎。そういえば生まれ変わりの話をした時から見ていない。バイトを掛け持ちしてるらしいから忙しいんだろう。初めて向かい合って喋り、友達と認め合った人が来なくなったのは寂しいけど、恩司郎は生きていて僕は死んでいる。それも間もなく現世から離れていく幽霊なんだ。幽霊が生きてる人を縛り付けちゃいけない。恩司郎が楽しそうに生きているのを見て、交差点を朝夕通り抜けていく高校生たちを見て、僕は思った。

 目眩は一日に何度も来る。痛みはない。苦しくもない。時々バランスを崩してガードレールから落ちそうになるけど、落ちたところで痛くない。恐れることは何もない。

 何もないはずなのに、僕は目眩が襲ってくるたびに恐くなる。その目眩を最後に、僕は生まれ変わってしまうのかもしれない。お父さんの息子として生まれ、恩司郎の友達として存在した僕は、また違う命に変わってしまう。恐くて悲しい。それは、二人といた時間の中に楽しくて嬉しい時間があったからだ。

 やがて目眩は数十分間隔で来るようになる。別に説明は受けてないけど、生まれ変わりが近づいているとわかってる今、この変化こそ生まれ変わりへの加速なんだろう。こうして現世を、生きている間と変わらずに孤独を抱えながら彷徨うのは苦痛のはずだ。生まれ変わりはそんな苦痛から逃れられる、喜ばしいことのはずだ。

 だけど、あともう少し、もう少し待って。僕は祈りを込めて胸の内で何度も呟き、目に見える景色が歪むのを見ないようにきつく目を閉じて体を丸めた。

 そうすると体が揺さぶられるような感じだけ残る。だけど他の感じがなくなる。

 僕は目を閉じるのをやめた。生まれ変わる瞬間まで前を見て、お父さんを待つことにした。目を閉じて、恐いことから逃げて、最後の最後まで後悔したら、僕は何のために待っているのかわからなくなる。

 雨が僕の体を通り抜け、日射しも透けて影さえ作らない。

 そんな日々の後のある夜、ふらりとシャツ姿の人が現れた。

 その人は通り過ぎるつもりだろうかと思って特別注意を払わなかったけど、足を止めた時に気がついた。花を一輪持っている。そしてその横顔、とても疲れたように隈が出来ているし、やつれて見えるけど、僕の嬉しい記憶の中にいるお父さんの顔だった。

 お父さんは花を一輪供えてしゃがみ込んだ。何も言わず、両手を合わせていた。言葉を連ねないのはお父さんらしい。だからお父さんが思ってることを全部理解できるわけじゃない。だけど僕は、お父さんが全身で謝っていることを、足元の雫でわかった。

 お父さんは僕がいたことを忘れてなかった。だからここに来た。

 お父さんは一生懸命働いていた。だから疲れ果てた顔をしている。

 僕はお父さんの息子だった。僕の胸にそんな気持ちが生まれてる。

 目眩が来た。

「――――」

 僕は何か言っただろうか。言ったとしたら、それはきっと、こうだろう。

 ありがとう。

 その言葉の真意はきっと、こうだ。

 僕のために来てくれて、みんなありがとう。

 

 ぼくの家にはおとうさんとおかあさんがいる。だけど二人とも忙しいみたい、隣のへやの子たちより早く起きて、ほいくえんってところに行ってる。そこでおとうさんかおかあさんがおむかえに来るまでまってる。

 おとうさんとおかあさんがいないことがいやで、会いに行こうとしたことがある。すぐにみつかってせんせいにすごくおこられた。こんなところにいなくたっていいじゃないかっておもったこともある。

 だけどおとまりかいをしたとき、となりのふとんでねることになった子と何だかよく話すようになった。ぼくはじぶんのなまえを言うと、あいても答えてくれた。目に見えないし、手に取れない。おかしとかおもちゃみたいにおいしくもないし、たのしくもない。だけどその子といるとおとうさんとおかあさんがいるみたいな気持ちになる。ぼくはだんだんその子のことが好きになって、先生といっしょにおさんぽにいくとき、いつもその子といっしょに歩くようになった。

 その子とはいろんなことをした。たこあげのたこもいっしょにつくって糸を引っ張ったし、ひろいグラウンドをいっしょにはしりまわった。いつか小学校へ行くってわかったとき、いっしょに行けるといいっておもって、それがかなった時、安心したしうれしかった。

 そつえんってことをしなくちゃ小学校にはいけないらしい。その日が近くなった時も、ぼくとその子はいっしょにあるいていた。

 かえりみちのことだった。大きなおとこのひとが向こうからやってくる。

 みんなわきによけていくけど、ぼくはどうしてかそうしなかった。

 よくわからないけど、その人となにか話したくなったんだ。

 だけどことばがでてこない。ぼくは立っていた。せんせいがわきによりなさいって、ちょっとおこったように言う。いつもはすぐせんせいの言うことはきくけど、そのときだけ聞けなかった。

 大きなおとこのひとは止まった。見下ろしたまま、口をひらいた。

「よかったな。ともだちができて」

 それはぼくのとなりの子にも言ってるみたいだった。

 せんせいはそのおとこのひとに何か言ってたけど、男の人は手を振って歩いていった。

 ぼくはそのおとこのひとを追ったけど、ぜんぜんおいつけない。

 すぐにうしろから先生にひきとめられた。

 なにか言わなくちゃって思う。ぼくはおぼえたばかりのことばをえらんだ。

「またね!」

 それはいちどわかれたひととまたあうためのまほうのことば。

 おとこのひとはとまった。

「おう!」

 どうしてだろう。ぼくはそのひとのえがおがとてもすきだとおもった。

 

                      [了 四〇〇字詰め原稿用紙六四枚]

2014年3月作品